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建仁寺
「建仁寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
建仁寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「彼」より 著者:芥川竜之介
もちを口にしなかった。彼は、――僕は未《いま》だに覚えている。彼はただ道に沿うた
建仁寺垣《けんにんじがき》に指を触《ふ》れながら、こんなことを僕に言っただけだっ....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
ろ邸宅といいたいような広大もない住まいでした。 その広い庭の中を通りがかりに、
建仁寺垣《けんにんじがき》のすきからひょいとみると、人影がある。 女です。 ....
「黒髪」より 著者:近松秋江
酒にやや陶然となっていたので、そこから出るとすぐ居合わす俥に乗って、川を東に渡り
建仁寺の笹藪の蔭の土塀について裏門のところを曲って、だんだん上りの道を東山の方に....
「霜凍る宵」より 著者:近松秋江
あたりに何となく心が惹かれるのでそちらへ廻って行って、横町を歩いていると、向うの
建仁寺の裏門のところを、母親が、こんな寒い朝早くからどこへ行ったのか深い襟巻をし....
「黴」より 著者:徳田秋声
女中は乗り越した垣根からこっちへ降りる足場などについて説明していたが、竹の朽ちた
建仁寺垣に、そんな形跡も認められなかった。 笹村は部屋に音響のないのがたよりな....
「夏目漱石先生の追憶」より 著者:寺田寅彦
の縁側を越えて南側の庭に面していた。庭はほとんど何も植わっていない平庭で、前面の
建仁寺垣の向こう側には畑地があった。垣にからんだ朝顔のつるが冬になってもやっぱり....
「怪談牡丹灯籠」より 著者:三遊亭円朝
こゝは何処だ」 伴「へい此処は横川です」 と云われて傍の岸辺を見ますと、二重の
建仁寺の垣に潜り門がありましたが、是は確に飯島の別荘と思い、 新「伴藏や一寸此処....
「後光殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
左手に樫や榛の大樹が欝蒼と繁茂している――その高台が劫楽寺だ。周囲は桜堤と丈余の
建仁寺垣に囲まれていて、本堂の裏手には、この寺の名を高からしめている薬師堂がある....
「円朝の牡丹灯籠」より 著者:田中貢太郎
お風をひきますよ」 と云って起した。新三郎はそこで起きて陸へ眼をやると、二重の
建仁寺垣があって耳門が見えていた。それは確に飯島の別荘のようであるから、 「伴蔵....
「楠公夫人」より 著者:上村松園
を説いている教訓的な絵を描いて納めようと思っている。 それから祇園の裏手にある
建仁寺――私が幼少の折りそこの両足院の易者に私の四柱をみて貰った思い出のある寺で....
「棲霞軒雑記」より 著者:上村松園
抱いて我が家へ帰ったのである。 私の七つか八つの頃のことである。 母と一緒に
建仁寺へ行ったとき、両足院の易者に私の四柱を見てもらったことがある。 四柱とい....
「芸術三昧即信仰」より 著者:上村松園
こうした人達が何となく喜んでいる生活をうらやんだものである。 その当時わたしは
建仁寺の黙雷禅師の法話を聴きに行ったことがある。年ははっきり覚えませんが、日は四....
「想い出」より 著者:上村松園
はかような事はあまり信じない方でしたが、親類達がやかましく言いますので、その当時
建仁寺の両足院にお名前は忘れましたが、易の名人がいやはりまして、姉の縁談を占った....
「特殊部落と寺院」より 著者:喜田貞吉
祖親鸞上人の時から始まったと伝えられている。「大谷本願寺由緒通鑑」に、上人が京の
建仁寺辺の沓作り、弦作りの非人を教化されたことがある。これは祇園の犬神人で、後に....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
。すなわち彼らは一方では行商人であったのだ。 このツルメソのおった場所は、今の
建仁寺の東の方で、その地を今に弓矢町と呼んでいる。これは彼らが自己の製作した弓矢....