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「建安〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

建安の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
ぞっとした。それから間もなく、彼は病んで死んだ。 蜜蜂 宋の元嘉元年に、建安郡の山賊百余人が郡内へ襲って来て、民家の財産や女たちを掠奪した。 その挙げ....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
ています。李は左遷されて建州の刺史となって、臨川に終りましたが、その死んだ夜に、建安の人たちは彼が白馬に乗って梨山に入ったという夢をみたので、そこに廟を建てるこ....
三国志」より 著者:吉川英治
お答えした。 その後、公卿たちは、戸帳を作り、住民の数を詮議し、同時に年号も、建安元年 と、改元した。 何にしても、皇居の仮普請が急がれたが、そういう状態....
三国志」より 著者:吉川英治
ヨ。 愴惶、指ヲ破ッテ詔ヲ書キ、卿ニ付ス。再四|慎ンデコレニ負クコトアルナカレ。建安四年春三月詔 「…………」 涙は滂沱と血書にこぼれ落ちた。董承は俯し拝んだ....
三国志」より 著者:吉川英治
あった。 彗星的な風雲児、江東の小覇王|孫策は、当年まだ二十七歳でしかないが、建安四年の冬には、廬江を攻略し、また黄祖、劉勲などを平げて恭順を誓わせ、予章の太....
三国志」より 著者:吉川英治
まった。文化、産業、ひいては軍需、政治などの機能が活溌な所以である。 時。――建安の七年頃だった。――すなわち孔明出廬のときよりさかのぼること六年前である。 ....
三国志」より 著者:吉川英治
檣頭に青龍の牙旗を立つ。ねがわくは丞相の配下をして、誤認なからしめ給わんことを。建安十三年冬十一月二十一日 「いかがいたしたかと案じていたが、さすが老巧な黄蓋で....
三国志」より 著者:吉川英治
大歩して去ってしまった。 以来、荀※は、病と称して、自邸にひき籠ってしまった。建安十七年冬十月、いよいよ南下の大軍は都を出ることになったが、彼はなお、曹操から....
三国志」より 著者:吉川英治
南の富強と士馬精鋭を蓄えて常に溯上を計るもの建業(現今の南京)の呉侯孫権だった。建安二十四年。 曹操が本来の野望を実現して、自ら魏王の位につき、天使の車服を冒....