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建部
「建部〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
建部の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「自叙伝」より 著者:大杉栄
のと知った。これもやはり、二、三年前に早稲田を出て、その頃は研究科でたった一人で
建部博士の下に社会学をやっていた、少し出歯ではあったが、からだの小さい、貴公子然....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
世の異数となす所であった。素より躋寿館に勤仕する医者には、当時奥医師になっていた
建部内匠頭政醇家来|辻元※が襲いだ。 弘前藩では必ずしも士人を幕府に出すことを....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
郎、水野三左衛門、七番には弓鉄砲頭、鳥井四郎左衛門、上坂源之丞、布施次郎右衛門、
建部《たけべ》令史、永原孫右衛門、松田金七、坂崎五左衛門、速水勝左衛門、八番には....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
ろ、夫は問題ではない。 とに角五月になって、いまだ決まらなかった所長もフトした
建部問題なるものをキッカケにして決定するし、研究所の建物は出来上るし、監督当局た....
「松と藤芸妓の替紋」より 著者:三遊亭円朝
曲って万世橋から美土代町へ掛る道へ先廻りをして、藤川庄三郎は、妻恋坂下に一万石の
建部内匠頭というお大名が有ります、その長家の下に待って居ましたが、只今と違ってお....
「仇討姉妹笠」より 著者:国枝史郎
に数えられましたが、民間にはいってはいよいよますます、製法使法発達いたし、浪速の
建部四国太夫が、わけても製法使法の達人、無双の名人にござりました。これより妾の使....
「芸術と数学及び科学」より 著者:三上義夫
見られるのである。これらは初期以来の刊行算書中に、往々その例がある。 関孝和、
建部兄弟、松永良弼等のごとき諸大家がこの種のことに関係が有ったか無かったかについ....
「和算の社会的・芸術的特性について」より 著者:三上義夫
が多く、この人最高の発明といわれた『乾坤之巻』所載の円理のごときは、その実は門人
建部賢弘から始まったらしいのであるが、またその業績として確実なものの中でも行列式....
「文化史上より見たる日本の数学」より 著者:三上義夫
きたと思われるが、その他の人達はどうであったろう。和算家の中には関孝和の門人中に
建部賢弘《たけべかたひろ》の兄弟三人があるが、旗本の有力家の子であった。有馬|頼....
「古事記」より 著者:太安万侶
タラシナカツ彦の命は天下をお治めなさいました。次にイナヨリワケの王は、犬上の君・
建部の君等の祖先です。次にタケカヒコの王は、讚岐の綾の君・伊勢の別・登袁《とお》....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
むすめだそうな」 「すると女は、矢矧まで、道連れになるつもりか」 「いや、途中、
建部ノ神官の家へ寄るとかいっていた。どこかで別れるつもりだろうよ」 やがて午ご....