建長寺[語句情報] » 建長寺

「建長寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

建長寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
十二支考」より 著者:南方熊楠
は兎も波を走るか面白の島の景色やとあるは『南畝莠言《なんぽいうげん》』上に拠ると建長寺僧自休が竹生島に題せる詩の五、六の句〈樹影沈んで魚樹に上り、清波月落ちて兎....
日本脱出記」より 著者:大杉栄
はみな追手のように思われて、二人ともずいぶんびくびくしながら行った。ことに一度、建長寺と円覚寺との間頃で後ろからあかりをつけない自動車が走って来て、やがてまたそ....
蓮花図」より 著者:宮本百合子
絵が働いて、私は朝靄の裡に開いたばかりの一輪の白蓮の花を思い浮べた。そこは鎌倉、建長寺の裏道だ。午前五時、私共は徹夜をした暁の散策の道すがら、草にかこまれた池に....
日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
って俄かに大地震となり、海嘯が起った。倒壊した主なものは政庁、鶴岡若宮、大慈寺、建長寺であったが、建長寺からは火が起った。その時の死者は二万三千余であったと言わ....
百姓弥之助の話」より 著者:中里介山
この辺の寺は大抵禅宗寺になっている。本村に三つ寺があるが、何れも禅宗で、妙心派と建長寺派とに分れている。弥之助の子供の時分にはこの妙心派のお寺が近い隣地にあった....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
ちにいるときは。お元気で。 八月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(鎌倉建長寺の写真絵はがき)〕 八月四日 建長寺でしょう? 葛西善蔵がいたというと....
水〔扉の言葉〕」より 著者:種田山頭火
と、物を粗末にしてはならないことを戒められたのである。そういう話は現代にもある、建長寺の龍淵和尚(?)は、手水をそのまま捨ててこまった侍者を叱りつけられたという....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
船弁慶」であったが、一番目ではやはり左団次の三浦荒次郎がわたしの眼についた。殊に建長寺の場で、彼が宗十郎の佐野源左衛門をやりこめて、例の調子で「黙れ、黙れ。だ、....
私本太平記」より 著者:吉川英治
は、寺よりないな」 「その寺院とてあらましは瓦礫となり果て、火をまぬがれた円覚、建長寺などへは、五山の僧が、ひしと詰まって、兵馬を入れる余地はございませぬ」 「....
私本太平記」より 著者:吉川英治
理由としている第一の声だ。夢窓は、これにも一案を打ち出した。 「むかし、北条氏が建長寺の造営費をつくるために貿易船を出した例があり、かつては、後醍醐のきみも、住....
山の人生」より 著者:柳田国男
君の居村附近、すなわち小仏峠を中心とした武相甲の多くの村には、天明年間に貉が鎌倉建長寺の御使僧に化けたという話とともに、描いて残した書画が多く分布している。鈴木....
父の出郷」より 著者:葛西善蔵
ろで弟は行李を担いで、Fとの二人が茶店の娘に送られて出て行ったが、高い石段を下り建長寺の境内を通ってちょうど門前の往来へ出たかと思われた時分、私はガランとした室....