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「式日〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

式日の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
鳥辺山心中」より 著者:岡本綺堂
江戸の侍で埋《うず》められた。将軍のお供とはいうものの、参内《さんだい》その他の式日を除いては、さして面倒な勤務をもっていない彼らは、思い思いに誘いあわせて、あ....
聖アレキセイ寺院の惨劇」より 著者:小栗虫太郎
それから、窓の上に三尺ばかりの鉄管が、電線と並行に突き出ていますでしょう。以前は式日になると、あれにロマノフ旗を結びつけたそうです。また、鉄管に絡んでいる裸線は....
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
いカバンをつるし、今日から小学第一年生だと小さな大手を振って行く。五六年前には、式日以外女生の袴など滅多に見たこともなかったが、此頃では日々の登校にも海老茶が大....
法窓夜話」より 著者:穂積陳重
月二日からは評定所で会議を開き、それより毎月二日、十二日、二十二日をもって評議の式日と定めた。 「甲子夜話《かつしやわ》」に依れば、評定所の起原は、国初の頃、....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
ば、抽斎は帝国大学医科大学の教職に任ぜられたようなものである。これと同時に抽斎は式日に登城することになり、次いで嘉永二年に将軍|家慶に謁見して、いわゆる目見以上....
五色温泉スキー日記」より 著者:板倉勝宣
リアのウインクレル氏は二十九の元気な青年だ。「今日おともを・さして下さい」と英語式日本語がつい出た。すると「ええ、だけどちょいと近くですよ。余り面白くもありませ....
生活のなかにある美について」より 著者:宮本百合子
そして休みくつろぐものであるという、生存の根本のリズムがつかまれていない。平日と式日という風にだけ頭が向けられていてそれを何とか一つもので間に合わそうと考えられ....
現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
は、支那語を教えて人格陶冶を行なう私塾「康徳学院」を開いた。 海外に対しても塾式日本国民精神教育が注目されて来たわけで、在米邦人第二世達のためには「さくら寮」....
細木香以」より 著者:森鴎外
て、そこへ子婦某氏が来ていた。竜池は金兵衛以下数人の手代を諸家へ用聞に遣り、三日式日には自身も邸々を挨拶に廻った。加賀家は肥前守斉広卿の代が斉泰卿の代に改まる直....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
る。私もこのお目見えの時は上下を着用して上屋敷へ行った。なんでも一日か十五日かの式日で、諸士に御面会あるそのついでにお目見えをしたのであった。そばには父が附いて....
源氏物語」より 著者:紫式部
と、源氏の尊敬する女友だちに送って、二種類ずつの薫香を作られたいと告げた。裳着の式日の贈り物、高官たちへの纏頭の衣服類の製作を手分けして各夫人の所でしているかた....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
そういう批評が生じるのも無理はなかった。私もそう思わぬではなかったが、やがて或る式日に講堂で泉校長の声明を聴いて私は認識を改めねばならなかった。校長はその噂を知....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
(当夕満月)。 十一日、晴れ。戴冠式場たるウェストミンスター・アベーを拝観す。式日当時の実況を示し、珍宝貴什を陳列せり。 十二日、快晴。水晶宮に往復す。イギ....
年中行事覚書」より 著者:柳田国男
佐渡の農村などは一帯に、二月上旬の一日を祭始め、十二月八日ではないが、その前後の式日を祭じまいとして、それに先だつ幾日かが物忌であった。暦の本が田舎に行き渡るま....
一九三七年を送る日本」より 著者:戸坂潤
評判の悪いことは、宣伝に於て支那より劣るところがあるからだというので、多くの半公式日本代表が派遣された。それは前にも触れた。評判の悪いのが宣伝の下手なせいかどう....