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弓場
「弓場〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
弓場の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「婦系図」より 著者:泉鏡花
さんが手切なり心着なり下すった幾干かの金子を資本にして、初めは浅間の額堂裏へ、大
弓場を出したそうです。 幸い商売が的に当って、どうにか食って行かれる見込みのつ....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
りげな宿の男が、やがて主水之介を導いていったところは、あまり遠くもない裏通りの大
弓場です。 「英膳先生、御来客ですよ」 声をかけて、矢場主が出て来たのを見迎え....
「縮図」より 著者:徳田秋声
のセンセションを起こしたのだった。 銀子が稽古に通っている、千葉神社の裏手に大
弓場などもって、十くらいの女の貰い子と二人で暮らしている、四十三四にもなったであ....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
せした門弟達は、まるでお葬式に列するようにうちうなだれてゾロゾロつづく。 もと
弓場のあったあとです。そこだけ立ち木がひらいて、地面にはバラッと砂がまいてある。....
「女の学校」より 著者:宮本百合子
の樹が車まわしの右側から聖堂の境に茂っていてその鬱蒼とした蔭に、女高師の学生用の
弓場があった。
弓場のあるあたりは、ブランコなどがある広くない中庭をかこんで女学校....
「死者の書」より 著者:折口信夫
こぼしを頂いて、石に囲われた家の中で、家の子どもを集め、氏人たちを召びつどえて、
弓場に精励させ、棒術・大刀かきに出精させよう、と謂ったことを空想して居る。そうし....
「後の業平文治」より 著者:三遊亭円朝
度|白洲の模様は今の芝居のよう、奉行の後には襖でなく障子が箝っていまして、今の揚
弓場のように、横に細く透いている所があります。これは後から奥の女中方が覗く処だと....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
を抜けると浅草|田圃で一面の青田であった。 観音堂の後ろがまたずっと境内で、楊
弓場が並んでいる。その後が田圃です。ちょうど観音堂の真後ろに向って田圃を距てて六....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
う」 両国二丁目の角屋敷《かどやしき》。 鈴木仁平という浪人者がやっている大
弓場《だいきゅうば》。 ひょろ松と顎十郎が、踏みこんで行くと、伏鐘重三郎は、松....
「おせん」より 著者:邦枝完二
目と、とっ捕まえて口説こうッたって、そうは問屋でおろしませんや。――この近所の揚
弓場の姐さんなら知らねえこと、かりにもお前さん、江戸一|番と評判のあるおせんでげ....
「釘抜藤吉捕物覚書」より 著者:林不忘
と、さっき藤吉を襲った弓矢が出て来た。それが佐平次の口を開いた。 浅草奥山の揚
弓場女に迷った末、佐平次が伊兵衛の高息の金に苦しんでいると、女に情夫のあることが....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
くりいだ》せり。浅草観音堂の境内《けいだい》を描くに当つても彼の特徴は水茶屋|土
弓場《どきゅうば》また奥山|見世物場《みせものば》等の群集に非ずして、例へば雷門....
「申訳」より 著者:永井荷風
お父《とッ》つァんはとうに死んじまいました。」 僕は薬研堀と聞いて、あの辺に楊
弓場のあったことを知っているかと問うて見たが、お民は知らないと答えた。広小路に福....
「濹東綺譚」より 著者:永井荷風
ば》められ、広い道路が開かれるに際して、むかしから其辺に櫛比《しっぴ》していた楊
弓場《ようきゅうば》銘酒屋のたぐいが悉《ことごと》く取払いを命ぜられ、現在《いま....
「つゆのあとさき」より 著者:永井荷風
を待ち合わすなんて、実に我ながら意想外だ。この社殿の向《むこう》に今でもきっと大
弓場《だいきゅうば》があるだろうが、おれも若い時分に弓をやりに来たことがあった。....