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「弔旗〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

弔旗の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
思い出す事など」より 著者:夏目漱石
ていた。 黒い布で包んだ球を見たとき、余は紗《しゃ》で金箔《きんぱく》を巻いた弔旗《ちょうき》の頭を思い出した。この喪章《もしょう》と関係のある球の中から出る....
光と風と夢」より 著者:中島敦
の地に於ては頗《すこぶ》る大問題なり。 午後、港内に碇泊《ていはく》中の船々に弔旗揚がる。土人の女を妻とし、サメソニの名を以て島民に親しまれていたキャプテン・....
三国志」より 著者:吉川英治
なかったので、 「ああ、大事去る!」と、独り長嘆していた。 一方、呉の兵船は、弔旗をかかげて、国へ帰り、孫策は、父の柩を涙ながら長沙城に奉じて、やがて曲阿の原....
三国志」より 著者:吉川英治
ほど陣をひいてしまった。陣中は寂として、墨の如く夜霧が降りていた。そして、随処に弔旗が垂れていた。 「急所の矢創が重らせたもうて、孫将軍には、あえなく息を引取ら....
三国志」より 著者:吉川英治
壁の戦やらその後の転戦で、葬儀も延ばしていたが、間者の報らせでは、荊州城には白い弔旗を掲げていたということだ」 「それは、劉※の死を悼んでいたのではありませんか....
三国志」より 著者:吉川英治
、蜀中に喪は発せられ、成都宮の南門には、関羽を祭る壇が築かれ、そして雪積む冬中も弔旗は寒天に凍っていた。 戦陣に在る日は、年を知らない曹操も凱旋して、すこし閑....
三国志」より 著者:吉川英治
おる」 やがて木門道から取り上げてきた屍に対して、帝は厚き礼を賜い、洛陽を人と弔旗に埋むるの大葬を執り行って、いよいよ、討蜀の敵愾心を振起させた。 一方、孔....
大岡越前」より 著者:吉川英治
ぎりすのように痩せ細り、眼をくぼませ、髪も髯も、ぼうぼうと生いはやして。 白い弔旗のような幟ばたにも、何か、かれらの罪悪がくろぐろ書かれ、一番あとから、数珠を....