引両[語句情報] » 引両

「引両〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

引両の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
大菩薩峠」より 著者:中里介山
も好む褐《かちん》の直垂《ひたたれ》、水に鴛《をしどり》の脇楯《わきだて》し、三引両《みつひきりやう》の弓籠手《ゆごて》さし…… と、お能の謡《うたい》に似て....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
の人の手に持っていた提灯《ちょうちん》でありました。その提灯とても、二《ふた》つ引両《ひきりょう》の紋をつけた世間並みの弓張提灯で、後ろには「加」という字が一字....
南国太平記」より 著者:直木三十五
梶、面梶、刀鍛冶。煙波、渺々《びょうびょう》たる海の面、埋まったりや、数万艘、二引両、四目結、左巴《ひだりともえ》に、筋違い、打身に、切疵、肩の凝り、これなん、....
私本太平記」より 著者:吉川英治
はいうまでもない。慌てて並木の木蔭へ身を交わした。 足利家の紋は、丸の中に二|引両。つまり丸に二本筋である。 ところが、眼の前へかかって来た人馬の笠印やら旅....
私本太平記」より 著者:吉川英治
寿王どのにも、何ぞお旗じるしがなければならぬが」 さしあたって、足利家の丸に二引両の旗はここになかった。借陣ながら千寿王にも旗がなくては一軍の形をなさない。 ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
く、それは源家の祖八幡殿が、願文とともに納めた旗らしく思われたが、あいにく紋は二引両(足利の定紋)であって、新田家の中黒ノ紋でなかった。で、彼は不きげんな色にな....
私本太平記」より 著者:吉川英治
く、西に黄瀬川をのぞんだ土狩の岡だった。 船田ノ入道はまっさきに登って行って一引両の幟を立て、また螺手に命じて貝を吹かせた。つづいては堀口、世良田、里見などの....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ている。衝天の意気、思うべしで、海上には、尊氏の乗船が、数百そうの船列の中に、二引両の紋幕をヒラめかせているのが望まれ、陸路には、先陣をゆく少弐頼尚の、綾藺笠の....
私本太平記」より 著者:吉川英治
な旗鼓で押しすすんでいた。「太平記」のことばを借りれば、 あな、おびただし 二つ引両 輪違ひ 四ツ目結 左巴 旗さまざま 雲霞の如く寄懸けたり であった。 ....