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弘前
「弘前〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
弘前の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「チャンス」より 著者:太宰治
なかった好例として、次のような私の体験を告白しようと思うのである。 あれは私が
弘前《ひろさき》の高等学校にはいって、その翌年の二月のはじめ頃だったのではなかっ....
「服装に就いて」より 著者:太宰治
ほんの一時ひそかに凝《こ》った事がある。服装に凝ったのである。
弘前《ひろさき》高等学校一年生の時である。縞《しま》の着物に角帯をしめて歩いたも....
「狂言の神」より 著者:太宰治
小学校を経て、大正十二年青森県立青森中学校に入学。昭和二年同校四学年修了。同年、
弘前高等学校文科に入学。昭和五年同校卒業。同年、東京帝大仏文科に入学。若き兵士た....
「空襲葬送曲」より 著者:海野十三
報告であります」有馬参謀長は、本物の別府司令官の前に、直立した。「金沢、字都宮、
弘前の各師団より成る北満軍主力は、本日午後四時をもって、興安嶺を突破せり。これよ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
七日に美濃|苗木の女中方が江戸をさしての通行と、その前日に中津川泊まりで東下する
弘前城主|津軽侯の通行とを迎えたのみだ。 しかし、馬籠の宿場が閑散であったわけ....
「東京八景」より 著者:太宰治
、この地に、ひとりで一軒の家を借りて、彫刻を勉強していたのである。私は昭和五年に
弘前の高等学校を卒業し、東京帝大の仏蘭西文科に入学した。仏蘭西語を一字も解し得な....
「十五年間」より 著者:太宰治
表した。いずれも、「海豹」という同人雑誌に発表したのである。昭和八年である。私が
弘前の高等学校を卒業し、東京帝大の仏蘭西文科に入学したのは昭和五年の春であるから....
「冬の花火」より 著者:太宰治
わなかった。お前のためには、あさも、どれだけ苦労して来たかわからないのだ。お前が
弘前の女学校を卒業して、東京の専門学校に行くと言い出した時にも、おれは何としても....
「雀」より 著者:太宰治
に浮んで来て、何だか慶四郎君を好きになるのである。慶四郎君は小学校を卒業してから
弘前の中学校に行き、私は青森の中学校にはいった。それから慶四郎君は、東京のK大学....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
年四月には越後、同五年三月には日光、同十二年九月には佐渡、明和三年一月には陸奥の
弘前、明和三年二月にも
弘前、同六年七月には日向、豊後に大きな地震があり、安永七年....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
声で言った。 青山の推薦者から塾堂に来た手紙によると、かれは二十三歳の若さで、
弘前の郊外に、相当大きなりんご園を経営しており、しかも、そのりんご園の中に、私財....
「明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
できた。 この日本犬的なのが秋田犬で、西洋的なのが土佐犬である。だから大館市や
弘前市の近所には土佐犬の産地があるのである。秋田犬、土佐犬の産地があるというとい....
「虹と感興」より 著者:上村松園
しいといわれて、早速その売約を申し込まれたのでしたが、ほんの一っ時違いで、すでに
弘前の某氏が売約されたために、藤田さんの手にはいらなかったのです。藤田さんは非常....
「死児を産む」より 著者:葛西善蔵
謝罪的な気持から妻に会わせたりしたのだが、その結果がいっそうおもしろくなかった。
弘前の菩提寺で簡単な法要をすませたが、その席で伯母などからさんざん油をしぼられ、....
「父の葬式」より 著者:葛西善蔵
通知も郷里の伯母、叔父、弟の細君の実家、私の妻の実家、これだけへ来る十八日正二時
弘前市の菩提寺で簡単な焼香式を営む旨を書き送った。 十七日午後一時上野発の本線....