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弘治
「弘治〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
弘治の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「厳島合戦」より 著者:菊池寛
築いた。現在連絡船で厳島へ渡ると、その船着場の後の小高い山がこの城址である。城は
弘治元年六月頃に完成した。 すると元就は家来達に対して、「お前達の諫を聞かない....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
二十六年間の交戦状態に於て、川中島に於ける交戦は数回あったが、其の主なるものは、
弘治元年七月十九日|犀川河畔の戦闘と永禄四年九月十日の川中島合戦との二回だけであ....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
郡古野に、その弟信次を守山に居らしめた。処がこの守山(清須から三里)に居る信次が
弘治元年の夏家臣と共に川に釣に出かけた時に、一人の騎士が礼もしないで通り過ぎたの....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
や大鳥は、……信玄公の坊主頭、あの時はよっぽど驚いたと見える」 去年と云うから
弘治三年、端午の節句の夜であったが、家例によって楯無しを飾り、信玄は酒宴を催した....
「骨董」より 著者:幸田露伴
ものであったろう、精中の精、美中の美で、実に驚くべき神品であった。はじめ明の成化
弘治の頃、朱陽の孫氏が曲水山房に蔵していた。曲水山房主人孫氏は大富豪で、そして風....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
談ずるような埒《らち》も無いことで、何も彼も滅茶《めちゃ》滅茶だった。永禄の前は
弘治、
弘治の前は天文だが、天文よりもまだ前の前のことだ、京畿地方は権力者の争い騒....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
城、大和に大地震があって、摂津には海嘯の難があった。 大永五年八月には鎌倉に、
弘治元年八月には会津に、天正六年十月には三河に、同十三年十一月には、山城、大和、....
「取り交ぜて」より 著者:水野葉舟
色のその土地に到着した。これは自分の友人が親しく実見《じっけん》した奇話である。
弘治《こうじ》二年に戦没した先祖の墓は幾百年の星霜《せいそう》を経《へ》て、その....
「長吏名称考」より 著者:喜田貞吉
があったらしい。そしてそれが配下の非人を取締っていたものらしい。「見聞雑記」に、
弘治二年文書に上州平野村長吏九郎左衛門、小田原長吏太郎左衛門訴訟の事がある。また....
「赤い土の壺」より 著者:田中貢太郎
庭の樹木の間から見える鵜飼の火を見るともなしに見ているところであった。 義竜は
弘治二年の春、庶腹の兄弟|喜平次、孫四郎の二人を殺し、続いて父|道三と鷺山に戦う....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
世と老後を心がければ、百歳くらい生きるのは当りまえにも思われる。 享禄、天文、
弘治、永禄、元亀、天正、文禄、慶長――とこう長い乱世の中を生きて来て、殊に四十七....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
卜伝、伊勢守などの名が、兵法家として、また、その道流を興して世上に認められていた
弘治、永禄、元亀年間に亘る時代には、一方に松本備前守とか、富田勢源とか、北畠中納....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
賢の反乱軍と、一方は、「主のとむらい合戦」をとなえて起った毛利|元就の軍である。
弘治元年の九月。陶軍は、兵二万余、船五百余艘で、島へわたり、塔ヶ岡を本陣とし、元....
「茶漬三略」より 著者:吉川英治
前の自分を思うと、自分でないような心地がした。 すると丁度その年。――その年は
弘治二年で、もう毎年の雨期に近い五月の初めだった。 真っ暗な雨雲の空が、宵の口....