弘福寺[語句情報] »
弘福寺
「弘福寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
弘福寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
嶺松寺という寺はない。わたくしは絶望して踵を旋したが、道のついでなので、須崎町|
弘福寺にある先考の墓に詣でた。さて住職|奥田墨汁師を訪って久闊を叙した。対談の間....
「小さな旅」より 著者:富田木歩
て昼頃から曇って来た静かな空気の中にゴロッチョゴロッチョと濁った声を伝えている。
弘福寺と牛島神社と、も一つ何処かのと三カ所で、相前後して入相の大太鼓を打ち初めた....
「鐘ヶ淵」より 著者:岡本綺堂
そうである。それが五代将軍綱吉の殺生禁断の時代に取毀されて、その後は木母寺または
弘福寺を将軍の休息所にあてていたということであるが、大原家の記録によると、木母寺....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
りするので、なかなかどこへも連れて行ってもらわれません。それでも亀井家のお墓所|
弘福寺が近くにあるので、まずそこへだけはと、お祖母様とお母様とに連れられて、お参....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
、近くに山もないに野猪が飛び出すか知らん。(もっとも、『十方庵遊歴雑記』に向嶋の
弘福寺が境内寂寞としてただ野猿の声を聞くという記事があるが、奥山の猿芝居の猿の声....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
りて、牛の御前の鳥居前を小半丁も行くと左手に少し引込んで黄蘗の禅寺がある。牛島の
弘福寺といえば鉄牛禅師の開基であって、白金の瑞聖寺と聯んで江戸に二つしかない黄蘗....
「寺じまの記」より 著者:永井荷風
料理屋待合茶屋の並んだ薄暗い一本道である。下駄の音と、女の声が聞える。 車掌が
弘福寺前《こうふくじまえ》と呼んだ時、妾風の大丸髷とコートの男とが連立って降りた....
「日和下駄」より 著者:永井荷風
きおうさま》には湿瘡《しつ》のお礼に豆腐《とうふ》をあげる、向島《むこうじま》の
弘福寺《こうふくじ》にある「石《いし》の媼様《ばあさま》」には子供の百日咳《ひゃ....
「向嶋」より 著者:永井荷風
つ》の年の夏森先生を喪《うしな》ってから、毎年の忌辰《きしん》にその墓を拝すべく
弘福寺の墳苑に赴《おもむ》くので、一年に一回向島の堤《つつみ》を過《よぎ》らぬこ....
「日本の伝説」より 著者:柳田国男
代になって、暫くどこへ行ったか行く方不明になっていましたが、後に隅田川東の牛島の
弘福寺へ引っ越していることが分りました。この寺は稲葉家の菩提所で、築地の屋敷がな....