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弱冠
「弱冠〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
弱冠の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「あいびき」より 著者:ツルゲーネフイワン
ヅク眺めたが、あからさまにいえば、あまり気には入らなかった。
これはどう見ても
弱冠の素封家の、あまやかされすぎた、給事らしい男であった。衣服を見ればことさらに....
「乞食学生」より 著者:太宰治
その賢者 素知らぬ顔して、記し置きける、 「青春は空《くう》に過ぎず、しかして、
弱冠は、無知に過ぎず。」(フランソワ・ヴィヨン) むかし、フランソワ・ヴィヨ....
「仇討三態」より 著者:菊池寛
したからといって、それが直之進であるとは決っていない。ことに父が討たれたときに、
弱冠であった忠三郎が敵の面体を確かに覚えていようはずがない。その忠三郎が、一目見....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
きに、令して汎く天下の才俊を徴すということになった。清河の崔羅什という青年はまだ
弱冠ながらもかねて才名があったので、これも徴されてゆく途中、日が暮れてこの墓のほ....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
如くであった。当時は、美少年尊重の世であったから、忽ち衆人讃仰の的となった。この
弱冠の一美少年こそは、切利支丹一揆の総帥となった天草四郎時貞である。 当時島原....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
下総の飯篠長威斎に天真正伝神道流を学び、出藍の誉れをほしいままにしたのは、まだ
弱冠の頃であった。後諸州を周歴し、佐野天徳寺、結城政勝、祐願寺等に兵を学んだが、....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
梅津只圓翁 翁ハ旧黒田藩喜多流ノ能楽師ナリ。明治四十三年九十四歳ヲ以テ歿ス。
弱冠ニシテ至芸、切磋一家ヲ成ス。喜多流宗家|六平太氏未ダ壮ナラズ、嘱セラレテ之ヲ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
た。そのいでたちはみな先日のお神楽師の連中と同じことでありましたが、なかに一人、
弱冠の貴公子がいたことを、邸について後の周囲のもてなしと、笠を取って面《おもて》....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
日ごろの栄三郎ではなく、ふたたび昔日、根岸あけぼのの里の道場に雄《ゆう》を唱えた
弱冠の剣剛諏訪栄三郎であった。
今やかれの前にお艶なく、われなく、世なく――在....
「スポーツ・文学・政治」より 著者:坂口安吾
才はいきなりでも天才なんだ。沢村が米国の編成チームを向うにまわして活躍したのも、
弱冠京商を出たばかりのときだったじゃないか。 あのときベーブルースを見たが、ス....
「里の今昔」より 著者:永井荷風
みきょうか》の『註文帳』の如き小説に、滅び行く最後の面影を残した。 わたくしが
弱冠《じゃっかん》の頃、初めて吉原の遊里を見に行ったのは明治三十年の春であった。....
「十日の菊」より 著者:永井荷風
ことにしていた。これはわたしがまだ文壇に出ない時分からの習慣である。 唖々子は
弱冠の頃|式亭三馬《しきていさんば》の作と斎藤緑雨《さいとうりょくう》の文とを愛....
「将来の日本」より 著者:田口卯吉
て陳ぶるに臨まば奇功多からざらんを欲す。その小成に安んずるをおそるるなり。今君は
弱冠にして奇功多し。願わくは他日|忸れて初心を忘るるなかれ。余初めて書を刊して、....
「咸臨丸その他」より 著者:服部之総
乗込んで上海へゆき、「ふとドイツ船シャジキリー号を売却するの風聞を耳にするや……
弱冠白面の身をもって、汽船八隻の船価五十万ドルを十二万五千ドルにて買収し、一躍船....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
の計画と称して実行不可能のものと見られたのである。ナポレオンは一七九六年三月二日
弱冠二十六歳にしてイタリア軍司令官に任ぜられ、同二十六日ニースに着任、いよいよ多....