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強兵
「強兵〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
強兵の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
可能であるとしても、新興国の当路者がここに意を致すことなくんば、富国はともあれ、
強兵の実は遂に挙がるまいと思われる。(昭和8・1「文藝春秋」) 満洲の夏 この....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
くならねばならない、もっと富まねばならないというのがそれだ。言いかえれば、富国と
強兵とだ。しかしよく見れば、地方の人心はまだまだ決して楽しんではいない。日ごろ半....
「思想と風俗」より 著者:戸坂潤
とにかく、いわゆるスポーツという外国語で呼ばれる行動形式は、どうも、直接には富国
強兵の手段にはならないらしいので、一頃スポーツは学校教育ではあまり優遇されなかっ....
「超人鬚野博士」より 著者:夢野久作
んや彼の議会を見ろ。何百の議員の首を絞めたり、骨を抜いたり、缶詰にしたりして富国
強兵の政策を決議させる。その議員というのは政党屋が、全国各地方から拾い上げて来た....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
禁ぜざらしむ、常卒するに及び七十余男あり〉。フレデリク大王が長大の男女を配偶して
強兵を図った先駆で、大きい子を多く生みさえすれば実は誰の種でもよいという了簡、こ....
「私たちの建設」より 著者:宮本百合子
に、明治の支配者が社会に対して抱いた観念は、何処までも彼等の利害を主眼とした富国
強兵を主題としていた。農民と土地との関係が、昔ながらの地主と小作の形のまま伝えら....
「今日の日本の文化問題」より 著者:宮本百合子
員一、二〇〇名を持つばかりである。これは日本の教育が人類的福祉の見地に立たず富国
強兵政策によっていたからであった。一九四六年に盲聾義務教育制の問題がとりあげられ....
「関牧塲創業記事」より 著者:関寛
いたるの事たるを悟れり。戦地に出るは、此れ死地に勇進するなり。殊に世界第一等たる
強兵たるの露国に向うて為す事あるは、此れ日本男子の名誉たり。殊に我家に於ては、未....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
兄を苦しめていそうなので、不安に脈打つ胸を押えて、俯向いていた。
「わしは、富国
強兵の策として、理化学の外にないと信じているが、これを行うと、父上の御意にもとる....
「三国志」より 著者:吉川英治
その部下の猛将|方悦と共に、 「呂布を討って取れ」 と、呼ばわりながら、河内の
強兵をすぐって、呂布の軍へ迫った。 敵が打鳴らす鼓の轟きを耳にしながら、 「動....
「三国志」より 著者:吉川英治
きでしょう」 「もちろん」 「驍勇並ぶ者なきあなたと、伝国の玉璽を所有して、富国
強兵を誇っているところの袁家とが、姻戚として結ばれると聞いたら、これを呪咀し嫉視....
「三国志」より 著者:吉川英治
は好まぬ」 「いや、聖人は猟をしないかもしれませんが、いにしえの帝王は、春は肥馬
強兵を閲、夏は耕苗を巡視し、秋は湖船をうかべ、冬は狩猟し、四時郊外に出て、民土の....
「三国志」より 著者:吉川英治
思ったので、蒋林は訊かれもしないのに、なおしゃべっていた。 「――しかし、百万の
強兵があろうと、彼はまだ若い。若年の成功は得て思い上がりやすく、図に乗ってかなら....
「大谷刑部」より 著者:吉川英治
、北国一の英傑も、今度は一たまりもない、断じて敗れ申そう。――何となれば、猛将、
強兵は、彼の信じるところであろうが、人心の帰趨がどこにあるか、諸侯の仰望が、上杉....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
三木城の本拠そのものは、いわゆる天嶮を占めているし、一族郎党の血にむすばれている
強兵だし、加うるに、海路毛利方から新鋭の武器兵糧も充分に籠め入れてあっただけに、....