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弾左衛門
「弾左衛門〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
弾左衛門の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「白蟻」より 著者:小栗虫太郎
かい》が、かねてより人質酬《ひとじちむく》いが因《もと》で反目しあっていた、日貴
弾左衛門珍政《へきだんざえもんちんせい》のために攻め滅ぼされ、そのとき家中の老若....
「長吏名称考」より 著者:喜田貞吉
二年文書に上州平野村長吏九郎左衛門、小田原長吏太郎左衛門訴訟の事がある。また、「
弾左衛門由緒書」には、 私先祖摂津国池田より相州鎌倉へ罷下、相勤候処、長吏云云。....
「エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
崎稲荷の初午の折に、山谷の若者とエタと衝突して、エタが一人殺された。そこでエタ頭
弾左衛門は、下手人の処刑を北町奉行に願い出たところが、奉行の宣告に、およそエタの....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
うものが出来上がったのです。 徳川時代の穢多に関する制度を見ますと、江戸浅草に
弾左衛門という者がありまして、鎌倉時代以来の穢多の頭として、これが関八州の穢多を....
「遠州地方の足洗」より 著者:喜田貞吉
、中には富豪の家あり。平民へ金銭を貸付る者もあるなり」と見えている。幕府の制では
弾左衛門の主張のままに、絶対に足洗いを許さぬ方針を執り、他地方に於いてもこれに倣....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
いのである。 徳川時代のエタは江戸と京都とを両中心としていた。江戸では有名なる
弾左衛門が、関八州から甲・駿・豆・奥の十二州(或いは参遠の一部をも)の「エタ頭」....
「「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
くエタの種をつがなければならぬ事に定められたのは、言うまでもなく徳川幕府が、浅草
弾左衛門をして東国のエタを取り締らしめ、町人百姓とは全く別扱いのものにしてしまっ....
「牛捨場馬捨場」より 著者:喜田貞吉
委せねばならなかった。武蔵八王子在の百姓がかつて自らこれを処理したが為に、エタ頭
弾左衛門より抗議を提出して、為に面倒な悶着を惹き起した事件もあった。 牛馬捨場....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
草と品川とに非人|溜があって、善七、松右衛門の両名がいわゆる非人頭となり、エタ頭
弾左衛門の下に属していた。そのほか奈良にも、また諸大藩の城下にも、同様の施設が少....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
れに流れ込んだのであろう。したがって彼らは普通に他の声聞師仲間と同一に扱われ、『
弾左衛門由緒書』なる穢多手下の四十八座中には明らかにこれを数え、本居内遠の『賤者....
「融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
れた人々を大別して、「エタ」と「非人」とに分けておりました。もっともこれは江戸の
弾左衛門の法を標準とした幕府の扱い方でありまして、地方によっては、必ずしもそうと....