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弾正
「弾正〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
弾正の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
すなわち今より三十一年前、私がまだ三十三歳の壮年であったときに、海老名《えびな》
弾正《だんじょう》君司会のもとに、箱根山上、蘆の湖の畔《ほとり》においてなしたも....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
教会へ行き始めた。そして下宿から一番近い、またそのお説教の一番気にいった、海老名
弾正の本郷会堂で踏みとどまった。 海老名
弾正の国家主義には気がついたのかつかな....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
から川中島を南進し、海津城の前面を悠々通って妻女山に到着した。 甲の名将|高坂
弾正昌信の守る堅城の前後を会釈もなく通って、敵地深く侵入して妻女山に占拠したわけ....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
大事と見てオールスター・キャストで来ているのである。 家康(年三十四)は竹広村
弾正山に、三郎信康(年十七)は草部村松尾大明神鎮座の山に布陣した。これが本営であ....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
った。 土屋庄八郎昌猛はこれほど勝れた人物であったが家庭的には不幸の人で、高坂
弾正の娘であり己が妻であるお妙の方を信ずることが出来なかった。お妙の方には恋人が....
「薄紅梅」より 著者:泉鏡花
蟇口を口に、忍術の一巻ですって、蹴込へ踞んで、頭までかくした赤毛布を段々に、仁木
弾正で糶上った処を、交番の巡査さんに怒鳴られたって人なんでございますもの。 芝....
「日置流系図」より 著者:国枝史郎
、姓も氏もない多右衛門は爾来江戸に止どまって弓道師範となったのであった。 日置
弾正を流祖とした日置流弓道は後世に至って、露滴派、道雪派、花翁派、雪荷派、本心派....
「首頂戴」より 著者:国枝史郎
次、戸村次郎左衛門、石川|内匠、石田典膳、古市喜左衛門、山辺勇助、中川蔵人、大森
弾正、齋藤一八、雨森静馬、六郷六太郎、榎本金八郎、大河原八左衛門、辻五郎、秋山七....
「大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
津五郎 文化文政天保へかけて江戸で一流の俳優と云えば七代目団十郎を筆頭とし仁木
弾正を最得意とする五代目松本幸四郎、市川|男女蔵、瀬川菊之丞、岩井半四郎は云うま....
「三甚内」より 著者:国枝史郎
鳥獣よりも身体軽く、ゆえに自ら飛沢と号す。 勾坂甚内の生長は、甲州武田の長臣高坂
弾正が子にして、幼名を甚太郎と号しけるに、程なく勝頼亡び真忠の士多く討ち死にし、....
「南蛮秘話森右近丸」より 著者:国枝史郎
1 「将軍|義輝が弑された。三好|長慶が殺された、松永|
弾正も殺された。今は下克上の世の中だ。信長が義昭を将軍に立てた。しかし間もなく追....
「弓道中祖伝」より 著者:国枝史郎
した『養由基』一巻、手写した人は大楠公であった。その養由基を譲り受けて以来、日置
弾正正次は、故郷に帰って研鑽百練、日置流の一派を編み出した。これを本朝弓道の中祖....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
いよいよ判らなくなった。この場の終り頃に、ぴかぴかした※を着た侍(宗十郎の浦上|
弾正)が団十郎の前で切腹することになるのであるが、それが一旦うしろを向いて、刀を....
「斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
はその時分|※々たる黒い髯を垂れて大学生とは思われない風采であった。緑雨は佐々|
弾正と呼んで、「昨日
弾正が来たよ、」などと能くいったもんだ。緑雨の『おぼえ帳』に....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
り三十九年まで歌舞伎座の社長たり。 ○六月、歌舞伎座にて市川団蔵、一世一代の仁木
弾正を演じ、好評。 ○小山内薫、市川左団次共同して、十一月二十七、二十八の両日、....