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当山
「当山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
当山の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
おり相定め候《そうろう》につき、お心得しかるべく候。 壱、参、五、七、四カ日に
当山。 弐、四、六、八、四カ日は興照寺。 ただし朝五ツよりのこと」 「あにい!....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
のごとく八丁堀者じゃ。仏道修行を思いたち、かく推参つかまつったが、うわさによれば
当山は求道《ぐどう》熱心の者を喜んでお導きくださるとのお話じゃ。静かなへやがあら....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
を、この二つのまなこでとくと見たのじゃ。膝元荒す鼠賊風情を要らぬ匿い立て致さば、
当山御|貫主に対しても申し訳なかろうぞ」 「黙らっしゃい。要らぬ匿い立てとは何を....
「大切な雰囲気」より 著者:小出楢重
ちゃんもぼんぼんも成人しやはりまして、ほんまにうっかりするとお見それいたします。
当山もおいおいとはつこうなりまして何よりで、もうこれでケーブルがかかりますと申し....
「縷紅新草」より 著者:泉鏡花
。 (――この、提灯が出ないと、ご迷惑でも話が済まない――) 信仰に頒布する、
当山、本尊のお札を捧げた三宝を傍に、硯箱を控えて、硯の朱の方に筆を染めつつ、お米....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
に関することが多いので、この点は七兵衛も、ちょっと測り兼ねているところです。 「
当山には、湯加僧正《ゆかそうじょう》という声明《しょうみょう》の上手がおられたげ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
いぬい》の方《かた》にあり、支那では天台山の乾の方、日本ではこの比叡山の乾、即ち
当山、大原来迎院を即ち魚山というのです、慈覚大師|直伝《じきでん》、智証大師|相....
「悪獣篇」より 著者:泉鏡花
の石段の前に立留まって、その出て来るのを待ち合せた。 門の柱に、毎月十五十六日
当山説教と貼紙した、傍に、東京……中学校水泳部合宿所とまた記してある。透して見る....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
へ来た。一人が、径の真中で
「御貴殿達へ申し入れる。吾々の姓名は御容赦願いたい。
当山の許可を受けて、都合によりここより一切登山を止めておりまする。お戻り願いたい....
「九条武子」より 著者:長谷川時雨
、主《おも》な役僧一同へ、 ――かねて双方の間に約束いたしおきたることは、もし
当山に万一の事ありし時は、速《すみや》かに私が罷《まか》り出て、精々《せいぜい》....
「河伯令嬢」より 著者:泉鏡花
背中に、酒やけの胸はだけで、大胡坐を掻いたのは藪の中の大入道。……納所どころか、
当山の大和尚。火鉢を引寄せ、脛の前へ、一升徳利を据えて、驚きましたなあ――茶碗酒....
「雪の透く袖」より 著者:鈴木鼓村
所があったので、早速、その頃寺に居た徒弟共を一室に集めて、さて静かにいうには、今
当山に訪れたものは、お前|達も兼て知っておる通り、この一七日前に
当山に於て葬礼の....
「皇海山紀行」より 著者:木暮理太郎
黄銅製らしき剣が建ててあって、南面の中央に庚申二柱大神と朱で大書し、其下に「奉納
当山開祖 木林惟一」と記してあり、裏には明治二十六□七月二十一日参詣□沢山若林五....
「周防石城山神籠石探検記」より 著者:喜田貞吉
れた。その西原君が当郡の視学として転任されたのは、多年埋没して世に忘れられていた
当山の大遺蹟が、いよいよ世に出るべき機運を造ったものだ。 石城山には延喜式内|....
「仏法僧鳥」より 著者:斎藤茂吉
左手向う木の根|一本は泉州岸和田岡部美濃守』 『この右手の三本は多田満仲公です。
当山石碑の立はじまり』 『左手うえの鳥居三本は出羽国米沢上杉公。その上手に見えて....