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「当為〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

当為の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
読書法」より 著者:戸坂潤
ては云わば物自体又は本体のようなものに当るだろう。併し博士の理念は現実に対しては当為(ゾルレン)だということになっているから、此の理念の機能は云わば(カントの意....
絶対矛盾的自己同一」より 著者:西田幾多郎
。かかる行為的直観を離れた時、我々の働きは単に機械的か合目的的たるかに過ぎない。当為といっても行為的実現を離れては唯形式的たるに過ぎない。 我々の種的生命とい....
愛と認識との出発」より 著者:倉田百三
まざるものでなければならない。それは事実において至難なる業ではあるが、私らの胸に当為として樹て、みずからの心を鞭打たねばならない。けれど、私がここに語りたいのは....
デカルト哲学について」より 著者:西田幾多郎
においてでなければならない。然《しか》らざれば、それは夢幻に過ぎない。存在の前に当為があるなどいって、いわゆる実践理性の立場から道徳の形式が明《あきらか》にせら....
イデオロギーの論理学」より 著者:戸坂潤
価値的なるものは之に反して本質的・永遠的であると考えられる。存在の偶然が妥当乃至当為の永遠性に干渉することは、許すべからざる冒涜であるかのようである。処が実は、....
イデオロギー概論」より 著者:戸坂潤
、文明過程の客観化物――経済・法律・更に又国家までも入れて――と戦わねばならない当為は去れ*。 * 以上 Ideen, S. 40, 45, 47 を見よ。 ....
日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
られた眼前の現実に対して天下り式の理想を課して、この現実と理想との絶対的な深淵を当為(ゾルレン)を以て埋め得ると考えたりすることが、観念論だというのである。或る....
辞典」より 著者:戸坂潤
産の外ではあり得ない筈であるから、自我は非我を克服して自らのものとなすべき努力の当為を負わされて来る。この時自我は理論的領域から実践的領域に移り、そこで初めて非....
外来語所感」より 著者:九鬼周造
哲学の術語などは明治以来諸先輩の努力によって殆どすべて翻訳され尽している。範疇、当為、止揚、妥当などというむつかしい言葉も今日ではもう日用語になりきってしまった....
哲学入門」より 著者:三木清
真理のこの要求は、事実いかんに拘らず、厳粛である。権利の問題は事実の問題でなくて当為の問題である。それはつねにそうあるという意味でなく、つねにそうあるべきである....
婦人と職業」より 著者:倉田百三
を防ぐことは不可能である。このことはたとい理想的社会が実現されたる暁においても、当為としての法則として、婦人の就職を妨げるいわれはない。婦人も男子と同じく、その....
生活と一枚の宗教」より 著者:倉田百三
ことであった。がそれもしなくてもよい。念仏申さるるようにということはやはり一つの当為であります。これがやはり私の一つの当為癖であります。それは自分がすべきだとい....
墓地展望亭」より 著者:久生十蘭
け真実な行動をして死にたいと思ったためである。自分のような人間にとっては、自殺は当為《ゾレン》であることを認め、いろいろ考えた末に決定したことなのだから、その実....
金狼」より 著者:久生十蘭
のうちのだれかだと言えるのです」 「犯人が必ずそこに来合しているという……それは当為《ソルレン》です。必ずそうあるべきことでしょう。しかしそれはそれとして、事件....
マルクス主義と唯物論」より 著者:三木清
41. マルクス主義は理論と実践との弁証法的統一を知るが故に、それはいかなる当為をも、いかなるゾルレンをも知り得ない。マルクスはいう、「共産主義は我々にとっ....