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当路
「当路〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
当路の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
弱い筈である。 多年の因習、一朝に一洗することは不可能であるとしても、新興国の
当路者がここに意を致すことなくんば、富国はともあれ、強兵の実は遂に挙がるまいと思....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
言うべきなり。当時世に有志の徒なるものありて、実に維新前慷慨志士〔すなわち当時の
当路者〕の気風を続ぐ。この徒あるいは洋学の初歩に通じたるあり、あるいは単に和漢の....
「死生」より 著者:幸徳秋水
に上れるではない歟、日本幕末の歴史を見よ、安政大獄を始めとして、大小各藩に於て、
当路と政見を異にせるが為めに、斬に処し若くば死を賜える者|計うるに勝えぬではない....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
大坂へ出て行って、将軍にも面謁し、江戸の方にある大老や老中の意向を伝えたころは、
当路の諸有司は皆途方に暮れている。将軍は西上して国内がすでに多端の際であるのに、....
「死刑の前」より 著者:幸徳秋水
るではないか。日本幕府の歴史を見よ。安政の大獄をはじめとして、大小各藩において、
当路と政見を異にしたがために、斬に処し、もしくは死をたまわった者は、かぞえるにた....
「霊訓」より 著者:浅野和三郎
代りに、陽の光の如く暖かなる内面的の愛を、人の心に注ぎ込んだのである。が、当時の
当路者達は、イエスを以て、漫りに新信仰を鼓吹して旧信教を覆すものとなし、之を磔刑....
「小翠」より 著者:田中貢太郎
た時に賄賂として贈って来たものであった。それは千金の価があった。王はそれを出して
当路の者に賄賂に贈ろうとしていた。小翠はそれが好きで平生|玩っていたが、ある日そ....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
ば勧誘もするという風に、なかなか世話を焼いて廻ったものであった。 当時、政府の
当路の人たちは夙に海外の文明を視察して来ておって、博覧会などの智識も充分研究して....
「書記官」より 著者:川上眉山
して、三十五万円の声を聞き、なおその競争の容易に止まるべくもあらざれば、さすがに
当路の者も扱いかねて、ここに一片の閣令を出すこととなりぬ。この閣令にて鉱山の借区....
「瘠我慢の説」より 著者:榎本武揚
へは誰れにも見せ不申候。是亦乍序申上候。以上。 勝安芳氏の答書 従古
当路者古今一世之人物にあらざれば、衆賢之批評に当る者あらず。不計も拙老先年之|行....
「水晶の栓」より 著者:新青年編輯局
辛辣な手を延ばして、大金を強請り取り、ついには閣員を脅迫して代議士になりすまし、
当路の大官、醜代議士連の弱点を押えては私利私欲を恣にしているが、当事者もこの一個....
「一日一筆」より 著者:岡本綺堂
しかも江戸の血を享けた人は、これに依て江戸を安全ならしめようと苦心した徳川幕府の
当路者と、彼ら自身の祖先とに対して、努力の労を感謝せねばなるまい。 今日は品川....
「エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
名称廃止以前のエタに対する幕府その他諸藩
当路者の発した布告法令の文を見ると、その圧迫の甚だしかった状態は、実に悪寒戦慄を....
「特殊部落ということについて」より 著者:喜田貞吉
無効になってしまうの虞れがないではない。 明治四年にエタ非人の称を廃した当時の
当路者の意見では、後に至って彼らの或る者を、特殊部落だとか細民部落だとかの名称の....
「融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
も多く落伍者の一時に起るのは、飢饉その他の不可抗力の天災や、あるいは戦争、その他
当路者の悪政の結果等であります。そしてこれらの犠牲となって、特に同情すべき落伍者....