当道[語句情報] »
当道
「当道〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
当道の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
の男は嘲笑ってあびせかけました。 「わはは。何じゃい何じゃい。今愉快の最中じゃ。
当道場には稚児の剣法のお対手仕る酔狂者はいち人もござらぬわ。御門違いじゃ。二三年....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
注意をひいた。義髄と前後して上洛した清内路の先輩原|信好が神祇伯白河殿に奉仕して
当道学士に補せられたことと言い、義髄が同じ白河家から地方用人を命ぜられたことと言....
「パンドラの匣」より 著者:太宰治
とも思う。これでだいたい僕の同室の先輩たちの紹介もすんだ事になるのだが、つづいて
当道場の特殊な療養生活に就いて少し御報告申しましょう。まず、毎日の日課の時間割を....
「正義と微笑」より 著者:太宰治
られたし。体操に支障無きようパンツ、シャツの用意を忘れぬ事。弁当は持参に及ばず。
当道場に於て粗飯を呈す。当日は、午前十時、十分前に演技道場控室に参集の事。 相....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
で反抗してきました。 さりながら、法に従ってまず門人衆と立合わねばならぬ。 「
当道場門人の末席を汚《けが》す片柳兵馬《かたやなぎひょうま》と申す未熟者」 三....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
おきの声を張りあげて、読みはじめたのを聞くと、 「先師、司馬十方斎先生亡きのち、
当道場のお跡目いまだ定まらず、もはやこれ以上延引いたす場合は、御公儀のきこえもい....
「八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
の立ち合い、不都合千万、控えさっしゃい! あいや鏡葉之助殿、拙者は松崎清左衛門、
当道場の主人でござる。お幼年にもかかわらず驚き入ったるお手のうち、いざこれよりは....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
て頼もうという。門弟が応接に出ると例によって、拙者は諸国武者修行の者でござるが、
当道場の先生にもぜひ一本のお手合せが願いたい――これまで各地遍歴の間、これこれの....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
く、相ついで歩いているが、関の明神を出てからでも、もういく時にもなるのだから、相
当道のりも捗取《はかど》っていなければならないのに、離れて第三者から見ていると、....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
と申す者だ、そのほうに申し聞けて置くことがあるからよく承れ。聞くところによれば、
当道場では、このごろ手習に事よせて、多くの小児を集めるのみならず、地蔵のお集まり....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
おもしろい。しかし、せっかくだが今日は内仕合で、他流の方はいっさいお断りするのが
当道場の掟《おきて》となっておる。またの日にお越しなさい」
ゲッ! というよう....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
受け申す。御通行のおじゃまをして、恐縮千万なれど、ちと不幸ばしござって、今日は、
当道場の例として、諸人《しょにん》に銭をまきおりまする。それがため、この群衆……....
「名人地獄」より 著者:国枝史郎
つき兼ねた。 「で、流名はないそうだな?」 「へえ、そんなものごぜえません」 「
当道場の掟として門弟二、三人差し出すによって、まずそれと立ち合って見い」 「へえ....
「エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
扱っていた。「鎌倉殿中問答記録」に、「鍛冶・番匠の様なる云甲斐なき者」と云い、「
当道要集」に、「舞廻・猿楽等の賤しき筋目の者」というが如き、ともかくこれらの徒が....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
に治まったと云うことである。 座頭との間の面倒な問題もこの頃に起った。いわゆる
当道・盲僧の輩である。盲僧たる琵琶法師の徒は、常に高く自ら標持して、舞々・猿楽の....