形勝[語句情報] »
形勝
「形勝〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
形勝の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
となって吶喊《とっかん》の声を揚げる。縦隊を少し右へ離れて運動場の方面には砲隊が
形勝の地を占めて陣地を布《し》いている。臥竜窟《がりょうくつ》に面して一人の将官....
「岩石の間」より 著者:島崎藤村
化《ごまか》されて了いました……」 高瀬は先生の高輪時代をよく知っている。あの
形勝の好い位置にあった、庭も広く果樹なども植えてあった、恐らく永住の目的で先生が....
「趣味の遺伝」より 著者:夏目漱石
のまた御爺さんも這入ったとあるからけっして新らしい墓とは申されない。古い代りには
形勝《けいしょう》の地を占めている。隣り寺を境に一段高くなった土手の上に三坪ほど....
「思い出の記」より 著者:小泉節子
にぎやかなので、ヘルンは好みませんでした。 雑司ヶ谷の共同墓地は場所も淋しく、
形勝の地でもあると云うので、それにする事に致しました。一体雑司ヶ谷はヘルンが好ん....
「大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
して、天満川の会流となりて、城北を廻りて、西南は瀬戸内海に臨んで、まことに天下の
形勝である。 石山本願寺時代、信長の雄略を以てしても本願寺門徒を攻め倒すことが....
「運命」より 著者:幸田露伴
防がんことを言う。復密奏して曰く、燕王は智慮人に過ぐ、而して其の拠る所の北平は、
形勝の地にして、士馬精強に、金元の由って興るところなり、今|宜しく封を南昌に徒し....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
ほどの御家人旗本を養うためにあるかと見えるような御蔵の位置はもとより、両岸にある
形勝の地のほとんど大部分も武家のお下屋敷で占められている。おそらく百本杭は河水の....
「写生紀行」より 著者:寺田寅彦
せんだってなんとかいう博士がこの公園を見に来て、これはたいへんにいい所だからこの
形勝を保存しなければいけないという事になり、さらに裏手の丘までも公園の地域を拡張....
「案内者」より 著者:寺田寅彦
温泉なら温泉ときめて、温泉の部を少し詳しく見て行くと、各温泉の水質や効能、周囲の
形勝名所旧跡などのだいたいがざっとわかる。しかしもう少し詳しく具体的の事が知りた....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
なお、このほかに、風光としての琵琶湖を、ほとんど致命的に没却せしめるという、保護
形勝論者も出てもよかりそうなものであったが、それは出なかったらしい。琵琶湖が独立....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
、小町庵となるべきものです。お銀様がいま納まった庵も、小町をいただくにふさわしい
形勝の地でないということはありません。
形勝というよりも、第一、便利なことです....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
これが世に出ると、北国街道の要害でもあり、絹織物の名産地でもある福井の城下に近い
形勝を占めたところだから、大いに繁昌するに相違ない。で、今のうちに多少なりとも地....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
へ、これだけのものを立てさせたのです。 なにゆえに、ことさらに、こんな、格別、
形勝の地ともいえないところへ――ことに、ほとんど街道に沿うて――この街道は、江戸....
「エトナ」より 著者:野上豊一郎
演されたのかも知れない。 それはとにかく、タオルミーナの劇場は何よりもすぐれた
形勝の位置に置かれてあるのが特長である。大きさはシラクーザの劇場(直径一三四米)....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
けん 明珠八顆|都て収拾す 想ふ汝が心光地に凭て円きを 里見義成 依然
形勝関東を控ふ 剣豪犬士の功に非ざる無し 百里の江山掌握に帰す 八州の草本威風に....