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「形式論理〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

形式論理の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
かれいの贈物」より 著者:九鬼周造
ことはない。そうだ。こうも考えられる。 x=b b=a ∴ x=a してみると、形式論理学で媒概念曖昧の虚偽という奴だな。bが癖ものなのだ。 敏子に送られた鰈は....
錯覚自我説」より 著者:辻潤
魅惑せしめて数回反復熟読せしめた。かれは一面すばらしき詩人でもある。決して単なる形式論理的、講壇的、乾燥無味的哲学者ではない。 新著『循環論証の新世界観と錯覚....
イデオロギー概論」より 著者:戸坂潤
係を有つに過ぎないかのように考えられる。もし論理学乃至論理と呼ばれるものが、かの形式論理――学校論理――の外へ出ないものならば、なる程このことは本当だろう。論理....
イデオロギーの論理学」より 著者:戸坂潤
の種類の理論に於て性格的に機能し得る証拠であるであろう。 最後に注意すべきは、形式論理学を要求する権利を有つかのように思われる。 なお、知識学に於て、認識論....
科学論」より 著者:戸坂潤
理)の他の何物でもない。F・エンゲルスが『フォイエルバハ論』に於て、将来の哲学は形式論理と弁証法との他にないと云ったのは、この意味だろう。所謂科学は云わば特定の....
現代哲学講話」より 著者:戸坂潤
的・数学的方法は、決して弁証法的方法ではない。それ処ではなく之こそ最も内容のある形式論理学排斥しはしない、却って夫は形式的論理をその一つのモメントとして止揚して....
現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
哲学上の理想主義(人格の成長の願望)に求めようとする哲学的凡愚と、物を考えるのに形式論理的なメカニズムしか使うことを知らない卑俗さにあるのである。唯物論の意義に....
現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
にしてあり得ない。 但しこの場合、論理(乃至論理学)と呼ばれるものは決して所謂形式論理のことであってはならないのである。なる程形式論理は、それが形式論理主義と....
思想としての文学」より 著者:戸坂潤
はまわれなくなる。こういう結果を論理学のモデルで現わすと、然り然り、否々、という形式論理になるのだ。 で私は文学を、科学との間に於て、モラル=モーラリティーに....
思想と風俗」より 著者:戸坂潤
ジックだ。表現の論理学とも意味の論理学ともいうことが出来よう。観念論の論理を単に形式論理学という側面からばかり把握してはならぬ。解釈の論理こそ今日の観念論の論理....
辞典」より 著者:戸坂潤
、ということを言い現わしているものに外ならない。もっと限定して云えば、弁証法とは形式論理の論理としての完全なる独立性を否定することである。それであればこそ弁証法....
性格としての空間」より 著者:戸坂潤
るならば、それは云い足りないと共に云い過ぎであるであろう。今の場合の主客の交換は形式論理に関わるよりも更に根柢的な方法に関わる問題である。本質と概念との区別が横....
道徳の観念」より 著者:戸坂潤
侵、不可批判性、を意味している。認識論上の絶対真理の主張(機械論的・形而上学的・形式論理的・認識論のもの)は、つまり法皇やツァールの真理の権威を擁護することに他....
読書法」より 著者:戸坂潤
、心理主義や発生論の名の下に、歴史的観点を排除するからであり、又極限という範疇も形式論理の最後の切札として使われているに過ぎないからである。で、この経済哲学は独....
日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
であるが、ヴォルフに於ては歴史の問題は歴史の問題として殆んど全く忘れられる。彼は形式論理学的矛盾律(夫は同時に同一律をも意味する)を唯一のオルガノンとする処の機....