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彦四郎
「彦四郎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
彦四郎の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「業平文治漂流奇談」より 著者:三遊亭円朝
ん、夜陰《やいん》でございますが金目貫《きんめぬき》が光りますから抜いて見ると、
彦四郎《ひこしろう》貞宗《さだむね》。 蟠「なか/\良さそうだ」 と云いなが....
「近世快人伝」より 著者:夢野久作
西郷さんが帰国したというのだから一大事である。 その頃、筑前志士の先輩に、越智
彦四郎、武部小四郎、今村百八郎、宮崎|車之助、武井忍助なぞいう血気盛んな諸豪傑が....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
既に三年間翁に師事していた故梅津正保氏等を含む一団の高弟連中は毎月一回|宛、村上
彦四郎氏邸や、その他の寺院等で謡会を開いた。 その中心となって指導していたのは....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
に、三人の男の子がある。その三男の平蔵にまた三人の男の子がある。なるほど、長男が
彦四郎、次男が信友――ははあ、これが講武所の下総守だな、こいつの剣術はすばらしい....
「湯女の魂」より 著者:泉鏡花
山は切歯をなして、我|赤樫を割って八角に削りなし、鉄の輪十六を嵌めたる棒を携え、
彦四郎定宗の刀を帯びず、三池の伝太|光世が差添を前半に手挟まずといえども、男子だ....
「後の業平文治」より 著者:三遊亭円朝
御助力有難うぞんじます」 喜「時に文治殿、予てお話の小野|氏の脇差、中身は確か
彦四郎定宗と覚え居りますが、拵えは何でござりますか」 文「縁頭は赤銅魚子、金に....
「赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
ら其両刀、天晴業物でござりましょうな?」と、意外な事を訊いたものです。 「双方共
彦四郎貞宗の作、日本刀での名刀でござる」 「如何でござろう、その名刀を、お揮い下....
「老狸伝」より 著者:佐藤垢石
十年北条氏政のために敗られて、西の国へ走ったのである。そのあとは山上美濃守、織田
彦四郎、松田兵部大夫などが引き続き北条の城代として厩橋にいた。 秀吉が二十五万....
「赤坂城の謀略」より 著者:国枝史郎
れ、その上を蓑笠で蔽いあそばされた、大塔宮護良親王様と、同じ姿の七人の家来、村上
彦四郎義光や、平賀三郎や片岡八郎等であった。 「御武運ひらきますでござります」 ....
「狐」より 著者:岡本かの子
当時和漢洋の学者、青木昆陽先生の高弟で、天文暦法の実測にかけては、西川正休、武部
彦四郎も及ばんという貴公が、どうしたことだ。 ――実学も突き詰めてみると、幻の無....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
ものを授けられて、卜伝の正流は東国にひろまらずに伊勢へ残った。 卜伝の子、塚原
彦四郎は、父から家督はうけたが、一の太刀の秘伝を遂にゆるされなかった。そこで父の....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
は――かくてその随身、光林坊玄尊、赤松ノ律師則祐、木寺ノ相模、岡本ノ三河坊、村上
彦四郎、片岡八郎、平賀三郎、矢田彦七らと共に、熊野詣りのいなか山伏と身を化して、....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
舞”を舞ったという。何せいすでにお覚悟のていだった。 時に。――宮方の一将村上
彦四郎義光が来て、切に、ご短慮をいさめ、宮を初めわが子義隆をも、たって南谷から天....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
むしろ、積極的な一策へと移行した。すなわち、その日すぐ 明石出雲介親連 黒沼
彦四郎伴清 のふたりが、上野国新田ノ庄へ急いで行ったことでもその関心のほどが知....