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彭
「彭〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
彭の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「運命」より 著者:幸田露伴
り、衝撃と包囲と共に敏捷を極む。南軍こゝに至って大敗収む可からず。宗垣、陳性善、
彭与明は死し、何福は遁れ走り、陳暉、平安、馬溥、徐真、孫晟、王貴等、皆|執えらる....
「太虚司法伝」より 著者:田中貢太郎
いた大異は、いつの間にか自分の体が小さな蟹のようになっているのに気が注いた。 「
彭※怪」 「
彭※怪」 皆が手を拍って笑った。大異は苦痛に耐えられないで体を悶掻....
「荷花公主」より 著者:田中貢太郎
南昌に
彭徳孚という秀才があった。色の白い面長な顔をした男であったが、ある時、銭塘にいる....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
きて離れず。老子は自然と説く。其れ是歟。孔子|曰。述而不作。信而好古。窃比我於老
彭。かく宣給ふときは、孔子の意も亦自然に相近し」といったのが即ちこれである。 ....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
遂に乞食の群れに落ちて死んだ。 鬼に追わる 宋の紹興二十四年六月、江州|
彭沢の丞を勤める沈持要という人が、官命で臨江へゆく途中、湖口県を去る六十里の化成....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
尊像あるを確かに知る。それと同例で庚申の三猿も伝教の創作じゃなかろう。道家の説に
彭《ほう》姓の三|尸《し》あって常に人身中にあり、人のために罪を伺察し庚申の日ご....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
本宗原名 Evangelical(エバンジェリカル) 和漢訳名 埃
彭者里加拉宗 一、非国教宗 本宗原名 Dissenter(ディセンター) ....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
して、 「アア、お腹がいたい」 と、笑いがとまらずにいた。 但馬の国生れの宗
彭沢庵と名のるこの若い禅坊主には、ふさぎ性のお通も、この青年僧の泊っているあいだ....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
した眼は、びっくりして大きくさけんだ。 「あっ……沢庵さん」 折も折である。宗
彭沢庵のすがたは、彼女にとって、大きな光明だった。それだけに、こんなところへ沢庵....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
まわって、この低地へも聞えて来た。
どう巡りあわせて、こんな所へ、宗
彭沢庵が今頃やって来たわけか。
元より、偶然であろうはずはないが、いかにも唐突....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
に、風のすさぶ度に、武蔵は、もう十年近い昔になる――七宝寺の千年杉を思い出す、宗
彭沢庵の声を思い出す。 まったく自分の今日あるのは、あの大樹の恩だと思う。 ....
「三国志」より 著者:吉川英治
軍の根気よさに、袁譚は夜も眠られず、心身ともに疲れてしまった。 その上、大将|
彭安が討たれたので、辛評を使いとして、降伏を申し出た。 曹操は、降使へいった。....
「三国志」より 著者:吉川英治
一堂に集まったといっていい。 張昭、張絋、周瑜、魯粛などの宿将をはじめとして、
彭城の曼才、会稽の徳潤、沛県の敬文、汝南の徳枢、呉郡の休穆、また公紀、烏亭の孔休....
「三国志」より 著者:吉川英治
ずねた。 「そうです」と、法正は誇るように肯定して、かつ紹介した。 「この人は、
彭義、字を永年といい、蜀中の名士です。ところが、主君|劉璋に直言を呈し、あまり強....
「三国志」より 著者:吉川英治
から起る。実にもと、人々は孔明の明察に感心した。 ところがその日の群臣のなかに
彭義という者がいた。彼と孟達とは日頃から非常に親しかった。会議が終ると、何かそそ....