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彰義隊
「彰義隊〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
彰義隊の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
お福は根岸へ帰ってから何処へも再縁せずに、家の手伝いなぞをしていましたが、上野の
彰義隊の戦争のときに、流れ弾《だま》にあたって死んだそうで、どこまでも運の悪い女でした」....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
しは声が出るようになったので、やはり元の寺に勤めていましたが、上野の戦争のときに
彰義隊の落武者《おちむしゃ》をかくまったというので、寺にも居にくくなって、京都の....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ぶらぶらしているうちに、慶応四年の上野の戦争、下谷の辺で死にました。と云っても、
彰義隊に加わったわけじゃあない。町人の風をして、手拭をかぶって、戦争見物に出かけ....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
出来事で、それから六年目が慶応四年、すなわち明治元年で、江戸城あけ渡しから上野の
彰義隊一件、江戸中は引っくり返るような騒ぎになりました。そのとき藤崎さんは
彰義隊....
「流行暗殺節」より 著者:佐々木味津三
医者! 直れっ」 しかし、藪医者は藪医者でも、この医者は只の医者ではなかった。
彰義隊討伐、会津討伐と、息もつかずに戦火の間を駈けめぐったおそろしく胆の太い藪医....
「ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
いであった、かれは洋服の上にはかまをはいて学校へ来たことがあるので、人々はかれを
彰義隊とあだ名した。 「なぐる前に一応忠告するがいいよ」と渋谷がいった、渋谷は手....
「開扉一妖帖」より 著者:泉鏡花
だり、並木の杉でぶら下ろうなどというのではない。女形、二枚目に似たりといえども、
彰義隊の落武者を父にして旗本の血の流れ淙々たる巡査である。御先祖の霊前に近く、覚....
「松と藤芸妓の替紋」より 著者:三遊亭円朝
じゃアないか、お止しなさいな」 庄「お前のお母さんのお墓参りをして、帰りに上野の
彰義隊のお墓参りをして、それから奧州屋さんのお墓参りに、遊びながら彼方の方へぶら....
「甲州鎮撫隊」より 著者:国枝史郎
いた。 鳥羽、伏見で敗れた将軍家が、江戸城で謹慎していることだの、上野山内に、
彰義隊が立籠っていることだの、薩長の兵が、有栖川宮様を征東大総督に奉仰り、西郷|....
「兜」より 著者:岡本綺堂
るまい。勘次郎は老いたる母と若い妻と幼い娘とを知己のかたにあずけて、自分は上野の
彰義隊に馳せ加わった。 五月十五日の午後、勘次郎は落武者の一人として、降りしき....
「夢のお七」より 著者:岡本綺堂
なる年であるかは今更説明するまでもあるまい。石原治三郎が四谷の屋敷を出て、上野の
彰義隊に加わったのは、その年の四月中旬であった。
彰義隊らとは成るべく衝突を避....
「ある恋の話」より 著者:菊池寛
男|嫌いになってしまったのでしょう。祖母は向島の小さい穏かな住居で、維新の革命も
彰義隊の戦争も、凡て対岸の火事として安穏に過して来ました。そして明治十二三年頃に....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
「め組の喧嘩」 新蔵と鴈治郎 藩閥攻撃――新蔵の美女丸――新富座の悲運――上野の
彰義隊――鴈治郎の十次郎と盛綱 昔の新聞劇評家 『東京日日新聞』――招待の芝居見....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
興行を休み、二月に至りて漸く開場。 ○五月十五日、市村座と守田座の開演中に、上野
彰義隊の戦闘あり。その後も市中おだやかならず、劇界不振をきわむ。 ○八月、市村|....
「本所両国」より 著者:芥川竜之介
の剣客と試合をした話も矢張り僕を喜ばせたものである。)それから「御維新」前後には
彰義隊に加わる志を持っていた。最後に僕の知っている頃には年をとった猫背の測量技師....