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後の菊
「後の菊〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
後の菊の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
生れ、熊本で成長し、伊予の今治、京都と転々して、二十二歳で東京に出で、妻は同じ肥
後の菊池郡|隈府という山の町に生れ、熊本に移り、東京に出で、私が二十七妻が二十一....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
健に、脚|迅《はや》く確かだったとある。日本にも、源範頼《みなもとののりより》肥
後の菊池の軍功を感じ、虎月毛を賜う、世々持ち伝え永禄年中まで存せり、その頃大友|....
「轆轤首」より 著者:田中貢太郎
一 肥
後の菊池家に磯貝平太左衛門武行と云う武士があった。頗る豪勇|無雙の士であったが、....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
出来た。 それで張合いが出たのか、あるいはかれの技芸に一転機を劃したのか、その
後の菊之助は興行ごとに評判がよくなった。翌二十六年の歌舞伎座三月興行に「黒手組助....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
っていたおもなる大族は菊池、阿蘇、少弐、大友の四家だった。 その召集をうけた肥
後の菊池武時は、 「ただではすむまい。いッそ迎え潮と申すもの」 と覚悟して、日....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ヶ関まで迎えに行って――そしてここまでは来たのだが――赤間を船出する前に、 「肥
後の菊池武敏、阿蘇の大宮司惟直などの宮方が、太宰府の手うすを知って、水木の渡しを....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
をみすみす求めてしまったか。疑問の余地がないでもない。松浦党は平家方であった。肥
後の菊池隆直、筑前の原田種直、長門の紀光季など、有力な味方はある。殊に、清盛と太....