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「後主〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

後主の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
」より 著者:夏目漱石
ュアラー》」と、頭も尾《しっぽ》もない一句を投げるように吐いた。 この弟は卒業後主人の紹介で、ある銀行に這入《はい》ったが、何でも金を儲《もう》けなくっちゃい....
李陵」より 著者:中島敦
ったところ、これに答えていう。前主の是《ぜ》とするところこれが律《りつ》となり、後主の是とするところこれが令《りょう》となる。当時の君主の意のほかになんの法があ....
十二支考」より 著者:南方熊楠
せんとすと、すなわち弩を水中に投じたがやがて俄《にわか》に死んだという。南唐の李後主青竜山に猟せし時、一牝猴網に触れ主を見て涙雨下し稽※《けいそう》してその腹を....
お久美さんと其の周囲」より 著者:宮本百合子
は半分其の仕事を馬鹿にして居たし、呼吸の大切な節々を中々腹に入れないので、夕食の後主屋で皆が集まって居る時などわざと恭はお関に、 「ねえお内儀さん、 私はこ....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
小さな店をひらくには充分だったに相違ない。しかし彼が店をひらいて失敗しても、その後主家をゆすっていないところを見ると、彼も女中なみの秘密を知るだけで、直接屍体の....
学校教育における図書館の利用」より 著者:佐野友三郎
織は直ちにこれを今日の我が青年会に適用し難しといえども青年会も修養機関としては今後主として互助教育主義を採り同趣味、同年輩の者、日時を定めて三々五々相集合し年長....
神経」より 著者:織田作之助
うていて、参ちゃんとは古い馴染だった。参ちゃんはもと「波屋」の雇人だったが、その後主人より店を譲って貰って「波屋」の主人になっていた。芝本参治という名だが、小僧....
ざんげの塔」より 著者:夢野久作
て、朝顔を見るべく応接間の扉を開くと、悲鳴をあげて、二階に駈け上ったという。その後主筆の家の玄関の締りが閂に改められたのは、どうやら夫人の希望らしい。 あの時....
上野」より 著者:永井荷風
又狭斜の巷に在っては「池の端の御前」の名を以て迎えられていた。居士が茅町の邸は其後主人の木挽町合引橋に移居した後まで永く其の儘に残っていたので、わたくしも能く之....
食道楽」より 著者:村井弦斎
、一品一物|皆《み》なこれ卓上の珍ならざるはなし。食事おわりて会衆が暫く休息せし後主人の広海子爵は当日の余興にとて姫君の玉江嬢に琴一曲を弾ぜしめたり。妙音清調会....
三国志」より 著者:吉川英治
」 とのみで、いかに事態の大変を取次がせても、顔すら見せないというのであった。後主劉禅は、いよいよ怖れかなしみ、勅使として、黄門侍郎董允と諫議大夫杜瓊のふたり....
三国志」より 著者:吉川英治
だちに、孔明は祁山へ向って軍をかえした。途中、表をしたためて、成都へ使いを立て、後主|劉禅へ勝ち軍のもようを奏した。ここに、大きな機を逸していたのは、渭水に陣し....
三国志」より 著者:吉川英治
がいかに平凡を愛したかは、その簡素な生活にも見ることができる。 孔明がかつて、後主劉禅へささげた表の中にも、日頃の生活態度を、こう述べている。 ――成都ニ桑百....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
与え、露軍の近迫に際し動作の余地を有するを目的とし、四月中旬シュワイドニッツ攻略後主力をもってメーレンに侵入、オルミュッツ要塞を攻略するに決心した。あたかも一九....