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「後宮〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

後宮の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
青年と死」より 著者:芥川竜之介
――一人もわからないのです。一体妃たちは私たちよりほかに男の足ぶみの出来ない後宮《こうきゅう》にいるのですからそんな事の出来る訣《わけ》はないのですがね。そ....
侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
もして下さいますな。 どうか採桑の農婦すら嫌うようにして下さいますな。どうか又後宮の麗人さえ愛するようにもして下さいますな。 どうか菽麦《しゅくばく》すら弁....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
よめたものか、お手を鳴らしたので、つるの一声はひびきの物に応ずるごとく、たちまち後宮の千姫《せんき》に伝わって、間をおかず色とりどり腰元たちがぞろぞろとそこへ現....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
石原広一郎 ◯畑俊六、秦彦三郎、佐藤賢了、河辺正三、中村修人、西尾寿造、島田駿、後宮淳、牟田口廉也、石田乙五郎、上砂政七、木下栄市、納見敏市、大野広一、高地茂朝....
竇氏」より 著者:田中貢太郎
その比晋陽の付近に何人いうとなく一つの噂が伝わってきた。それは良家の女を選んで後宮へ入れるという噂であった。字して聘えられる日を待っている女の家では驚惶して吾....
奇賊は支払う」より 著者:海野十三
共に語り出した。 「……それがですよ、苅谷さん。私は烏啼天駆に拐かされて、彼奴の後宮へ入れられちまったんです。もっとも私の役は、後宮の一員として彼奴に仕えること....
踊る地平線」より 著者:谷譲次
るいビイルを一杯ずつ飲ませろと言ったのだそうだ。 この恐るべきポウト・サイドの後宮をPASHAのごとく一順して、私たちは港へ帰った。 あらゆる天候によごれた....
踊る地平線」より 著者:谷譲次
たくさん女がいるんだよ、この船には。船員の過半は女なんだ。共有さみんな。|浮かぶ後宮! Eh, what ? ただね、今んところ、ひとり男が足らない。明朝早くの....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
は鎌足の女、五百重娘で、新田部皇子の御母、大原大刀自ともいわれた方である。夫人は後宮に仕える職の名で、妃に次ぐものである。大原は今の高市郡|飛鳥村|小原の地であ....
ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
に立ち現われると、若い女や年取った男どもが、それを非常に喜んだ。屍体《したい》と後宮の臙脂《えんじ》との匂いが、そこから発散していた。 彼らの文体も、その感情....
勉強記」より 著者:坂口安吾
惑という年頃までは、女のほかの何事も考えるということがない。仏教第一の大哲学者は後宮へ忍びこんで千人の美女を犯す悲願をたて、あらかた悲願の果てたころに、ようやく....
柳営秘録かつえ蔵」より 著者:国枝史郎
とした人物であった。お杉に三之丞がなかったなら、恋さないでは居られなかったろう。後宮の佳麗三千人、これは支那流の形容詞、しかし家斉将軍には事実五十人の愛妾があっ....
中支遊記」より 著者:上村松園
あったようであった。 同じ南京では畑支那派遣軍総司令官閣下に御挨拶に参上した。後宮総参謀長その他の幕僚も御一緒であったが、畑大将は私が杭州で風邪をひき、二日ば....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
されたことは、漢詩に対する和歌の用途をひろくもしたし重くもした。平安朝のはじめ、後宮のもてあそびであった歌合が、清涼殿の催しにまで昇格し、勅撰の歌集が編まれ、こ....
空中征服」より 著者:賀川豊彦
の帰った後、賀川市長も、私宅に引上げることにした。 彼の私宅は、大阪市の南端|後宮の木賃宿の裏にあって、家の広さは九尺二間、奥二畳に、表三畳の大家屋である。 ....