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「後年〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

後年の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
大導寺信輔の半生」より 著者:芥川竜之介
実際彼の自然を見る目に最も影響を与えたのは見すぼらしい本所の町々だった。彼は後年本州の国々へ時々短い旅行をした。が、荒あらしい木曾《きそ》の自然は常に彼を不....
開化の良人」より 著者:芥川竜之介
でしたが、今になって思い合わすと、実はもうその言《ことば》の中に傷《いたま》しい後年の運命の影が、煙のように這いまわっていたのです。が、それは追々《おいおい》話....
或敵打の話」より 著者:芥川竜之介
梅の枝を手向《たむ》けた。それから新しい四基の石塔に順々に水を注いで行った。……後年|黄檗慧林《おうばくえりん》の会下《えか》に、当時の病み耄けた僧形とよく似寄....
煙管」より 著者:芥川竜之介
屋坊主《おすきやぼうず》の河内山宗俊《こうちやまそうしゅん》が、やって来た。――後年《こうねん》「天保六歌仙《てんぽうろっかせん》」の中の、主な 〔role^〕....
侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
成程彼等には尊徳のように下男をも兼ねる少年は都合の好い息子に違いない。のみならず後年声誉を博し、大いに父母の名を顕《あら》わしたりするのは好都合の上にも好都合で....
国貞えがく」より 著者:泉鏡花
前を過ぎるのに、 「ああっ、」といって腰をのめらして行った。……御威勢のほどは、後年地方長官会議の節《せつ》に上京なされると、電話第何番と言うのが見得《みえ》の....
時代閉塞の現状」より 著者:石川啄木
においても、我々はまだかの既成強権に対して第二者たる意識を持ちえなかった。樗牛は後年彼の友人が自然主義と国家的観念との間に妥協を試みたごとく、その日蓮論の中に彼....
宇宙の始まり」より 著者:アレニウススヴァンテ
)がバビロンの天文学の知識を得たのはやはりフェニシアを経てのものであったらしい。後年アレキサンドリアでギリシア人がバビロニアの科学を学んだのも同様であった。 ....
霊訓」より 著者:浅野和三郎
ペレエタアの告ぐる所によれば、同僧院にモーゼスを連れて行ったのは、霊達の仕業で、後年霊媒としての素地を作らしむる為めであったとの事である。 二十三歳の時帰国し....
亡び行く江戸趣味」より 著者:淡島寒月
いた時があった。昔のものは花瓦斯といって焔の上に何も蔽わず、マントルをかけたのは後年である。 ◇ 江戸から東京への移り変りは全く躍進的で、総てが....
妖怪学」より 著者:井上円了
るものは、一、二日前に天気のいかんを予定するを得べし。果たしてしからば、明年、明後年、何月何日の天気は、今日、明日、明後日の一日一日の原因結果の引き続きより生ず....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
を訪う。農民これに住す。壁上に詩人ポープの賛を題せり。庭前にりんご数株あれども、後年の栽培にかかる。古樹はすでに朽ちたりとて、その形を写して扁額となす。一人の来....
私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
田県というように、それぞれ分担地区を割当てられ活躍したものである。これらの諸君が後年、故郷でもないそれらの分担地区から代議士に打って出たのも、若き日の活躍ぶりを....
私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
となく活気のない店だった。私は十五歳になっていたが、この紙を扱った最初の経験は、後年私が段ボール創業の際、非常に役立った。しかし店に活気がないので働く私の張合い....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
影響を与えつつあったのである。 ただ、箕作博士の所論もマハン鵜呑みの点がある。後年、箕作博士が陸軍大学教官となって来られた際、一度この点を抗議して博士から少し....