後楽園[語句情報] »
後楽園
「後楽園〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
後楽園の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「残されたる江戸」より 著者:柴田流星
の離宮なるも色渥丹の如く頗る賞すべきか。その他では麹町の山王、靖国神社、小石川の
後楽園、芝の山内などで、その余に人々のゆくとしてゆくのは王子の滝の川最も近く、品....
「死体の匂い」より 著者:田中貢太郎
数日して藤坂上の友人に聞くと、水戸邸の遺物として残っているのは、その塀と涵徳殿と
後楽園の入口にある二棟の土蔵とであったが、その涵徳殿も土蔵も潰れたとのことであっ....
「夏」より 著者:寺田寅彦
は実に美しい幻影で装飾されている。しかし岡山や高松の暑さの思い出にはそれがない。
後楽園や栗林公園はやはり春秋に見るべきであろう。九十五度の風が吹くと温帯の風物は....
「砂漠の情熱」より 著者:豊島与志雄
。そしてつまりそれは、砂漠的精神の情熱ということになる。 話はちょっと飛ぶが、
後楽園のスタジアムはあまり恵まれた場所ではない。
後楽園の深い木立は後方は隠れて見....
「足のない男と首のない男」より 著者:坂口安吾
声で、テキ屋の声に厚い鉛のメッキをかけて年中フイゴで吹いてゐるやうな声であるが、
後楽園球場で一番響きの悪い声で国民学校一年生のやうにうるさく怒鳴つたり拍手したり....
「僕はもう治っている」より 著者:坂口安吾
われたのかも知れない。ボクはもう治っている。去年の今ごろと同じように元気で、毎日
後楽園で野球を見ているが、ボクはさらに、廿年前の若いころの健康をとりもどすために....
「神経衰弱的野球美学論」より 著者:坂口安吾
このほど東大の神経科へ入院したおかげでいくらか病気がよくなってからの二週間ほどたいがい
後楽園へ通った。 科長の内村裕之先生は往年の大投手であり今日でも野球ジャーナリ....
「日月様」より 著者:坂口安吾
あるからであろう。 科長の内村先生(大投手)担当の千谷先生(大捕手)のお許しで
後楽園へ見物を許された。
後楽園のない日、千駄木町の豊島与志雄先生を訪ねた。豊島さ....
「小さな山羊の記録」より 著者:坂口安吾
ていた。まもなく、私は、急速に外界をなつかしみだした。私は千谷さんの許しを得て、
後楽園へ野球見物を日課にしたが、私のなつかしんだ外界は、去年の秋に眺めくらしたア....
「スポーツ・文学・政治」より 著者:坂口安吾
盛なんだ。 この前東大病院に入院していたときも、内村教授から外出を許して貰って
後楽園へよく野球見物に行った。内村という人は日本の野球界の大先輩だが、あれくらい....
「安吾巷談」より 著者:坂口安吾
私は東大神経科へ入院しているとき、散歩を許されて、ほかに行く場所もないので、再三
後楽園へ野球を見物に行った。私は長蛇の列にまじって行列しながら、オレが精神病者で....
「裏切り」より 著者:坂口安吾
も物が云えず、 「どうだい。競輪へ行こうじゃないか」 とグッとオモムキを変えて
後楽園の競輪場へ行きました。行った以上は車券も買ってみないわけにいかないので、車....
「新春・日本の空を飛ぶ」より 著者:坂口安吾
石である。 読売社の年賀状をまくために高度六百メートルで東京を二周する。神宮と
後楽園の運動場が意外に大きい。ビルディングは小さなオモチャ。機上から見た下界の物....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
がねえやというようにゴットンゴットン走っているだけだ。さすがに犬は歩いているよ。
後楽園の競輪場も野球場も人がいないし、省線電車の出入口にも人の動きが見当らないと....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
一に指を折られた。元治年中、水戸の天狗党がいよいよ旗上げしようとした時、八兵衛を
後楽園に呼んで小判五万両の賦金を命ずると、小判五万両の才覚は難かしいが二分金なら....