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「後衛〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

後衛の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
さようなら」より 著者:田中英光
りだした。ぼくたちはそのまま岡田の死体を見棄て、行軍を続ける。その時、ぼくたちは後衛中隊の最後尾の分隊だったから、岡田の死体は中国人たちが埋めてくれぬ限り、道端....
長篠合戦」より 著者:菊池寛
(信玄弟の子)、小山田|右兵衛信茂、跡部大炊助勝資等。勝頼自らは、前衛望月右近、後衛武田信友、同信光等と共に清井田原の西方に陣した。各部隊共兵三千、総軍一万五千....
オンチ」より 著者:夢野久作
た。 「戸塚ッ……お前はどこでテニスを遣ったんだっけね」 「中学で遣ったんです。後衛でしたが」 「スタートが遅いね。我流だね。ホラホラ……」 「ええ。この拝借し....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
《なぎなた》、弓、鉄砲、昨日に変ること無く犇々《ひしひし》と身を固めて主人に前駆後衛した事であろう。やがて前野に着く。政宗方は迎える。氏郷は数寄屋の路地へ潜門《....
自由主義私見」より 著者:豊島与志雄
ため」ではないが故に、通常は、思想的には批判者の地位に立つものであり、実践的には後衛の地位に立つものだと思われる。そこに、この同盟の行動の自由性と各種前衛分子を....
ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
を発し、カピトールの殿堂を救うべき、口実となっていた。前衛の知識者らのあとには、後衛の知識者らが控えていた。両方とも同じくらいの価値の人々だった。どちらも他方の....
レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
ントンの退却であると思った。彼はベルトランに言った。「あれは撤退するイギリス軍の後衛だ、オステンドに到着した六千のイギリス兵をわしは捕虜にしてみせよう。」彼は豁....
レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
ム、アルゼー、マイヤンスなどで戦ったが、このマイヤンスの時などは、ウーシャールの後衛たる二百人のうちのひとりだった。彼は十二番目にいて、アンデルナッハの古い胸壁....
レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
、その代わりにある昆虫が早めに出ていた。六月の前衛たる赤い蝶《ちょう》は、五月の後衛たる白い蝶と相交わっていた。篠懸《すずかけ》は新しい樹皮をまとっていた。マロ....
今昔茶話」より 著者:国枝史郎
がBという国を征める時、Cという友邦に向い、 「どうぞ兵を出して、私たちの軍隊の後衛をして下さい」 と申しやる。 「よろしい」と云って、C国がA国軍を助ける意....
穂高岳槍ヶ岳縦走記」より 著者:鵜殿正雄
様は、丁度、横綱の土俵入を見るようだ。さはいえ、乗鞍や槍の二喬岳を除けば、皆前衛後衛となって、恭しく臣礼を取っているにすぎぬ。槍ヶ岳対穂高岳は、常陸山対梅ヶ谷と....
私本太平記」より 著者:吉川英治
や、お似合いでもある。あの馬上|凛々なお勇ましさのどこやらは」 宮が過ぎると、後衛の軍には、千種忠顕が、一千余騎で、炎日の下をつづいて行った。 かくてその日....
黒部川奥の山旅」より 著者:木暮理太郎
線はガックリ北に折れて、一段低く小窓の頭、大窓の頭と続いている。流石にこれは劒の後衛だけに鋭い圭角が大鋸の歯を刻んでいる。大窓の北は白兀、赤兀の奇醜な円頂から、....