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「後裔〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

後裔の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
長篠合戦」より 著者:菊池寛
働き心にくしと見て迫るのを、兵部丞にっこり笑って、「滋井の末葉|海野小太郎幸氏が後裔真田一徳斎が二男兵部丞昌綱討ち取って功名にせよ」と名乗るや三騎を左右に斬って....
応仁の乱」より 著者:菊池寛
戦乱の末期 此の戦乱の後期で注目す可きは賊軍の悪名を受けた西軍が南朝の後裔を戴いたことである。日尊と称する方で、紀伊に兵を挙げられた。『大乗院寺社雑事....
ルバイヤート」より 著者:小川亮作
呼んで世界と言う古びた宿場は、 昼と夜との二色の休み場所だ。 ジャムシード*らの後裔はうたげに興じ、 バ※ラーム*らはまた墓に眠るのだ。 54 バ※ラームが....
風波」より 著者:井上紅梅
お前達は知らないのか。今度おいでになるのは張大帥だ。張大帥はすなわち燕人張翼徳の後裔で、彼が一度丈八の蛇矛を支えて立つと、万夫不当の勇がある。誰だって彼に抵抗す....
深見夫人の死」より 著者:岡本綺堂
のつもりかも知れない。」と笑っているそうであるが、さてその深見氏が、かの森戸家の後裔であるかどうか、そんなことは勿論わからない。 以上の物語が終ったころに、先....
壁の眼の怪」より 著者:江見水蔭
、村一番の長者|小池大炊之助の家へと案内させた。 大炊之助は池大納言三十二代の後裔だというのであった。平家の落武者がこの里に隠れ住む事|歳久しく、全く他郷との....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
の種であったのであろうか。系図の伝うるところによれば、彼らは正しく田原藤太秀郷の後裔であったという。その伝うるところ区々ではあるが、試みに『続群書類従』所収、「....
国栖の名義」より 著者:喜田貞吉
なお多く存しているとある。当時蝦夷のなお盛んな越後において、蝦夷とは別に土蜘蛛の後裔と目せらるる人民が多く存していたのであった。この一事のみでも、彼らが蝦夷とは....
時勢と道徳観念」より 著者:喜田貞吉
たならば、或いは名誉の勇士としてその美名を後世に伝えたかもしれない。海賊大将軍の後裔が、祖先の武功を後に伝えて大名となっているものも珍らしくはない。 悪源太義....
サンカ者名義考」より 著者:喜田貞吉
も及び、はては死牛馬取扱業者にのみ限られる様になった例もある。その京都の坂の者の後裔はつるめその名を以てのみ呼ばれて、本来の坂の者の称を失い、かえってその転訛た....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
る。 第四には、第九節の定家論の所で註の中に紹介した定家歌集を訂正する。定家の後裔|冷泉為臣伯爵自ら編纂した『藤原定家全歌集』が、定家七百年|遠忌の記念として....
エタと非人と普通人」より 著者:喜田貞吉
のは賤ともなり、卑ともなる。しかもその幸運児の子孫は永久の幸運児でなく、落伍者の後裔は永久に落伍者たるべき約束はなかったのである。 しかるに徳川太平の代は、一....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
は無論エタではなかったに相違ない。したがってその血脈を受けた子孫が、当然殉教者の後裔として、特別の尊敬を受くべき資格のあるものたる事は、別項「特殊部落と寺院」の....
旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
それが一般に及んで、徳川時代も中頃以後になってことに甚だしくなり、今に至ってその後裔は少からぬ累を受けているのである。しかしながらもともとインドの旃陀羅と、我が....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
はない。既に桓武天皇の御生母は百済氏の出であり、神功皇后の御母方も新羅の天日槍の後裔だと言われている通りで、そのほかにも支那、朝鮮から帰化した者は甚だ多く、それ....