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「後詰〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

後詰の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
或る女」より 著者:有島武郎
に足をおろすや否や、すぐに木村にたよらなければならないのは目の前にわかっていた。後詰《ごづ》めとなってくれる親類の一人もないのはもちろんの事、ややともすれば親切....
鞄らしくない鞄」より 著者:海野十三
、一篇の笑話と化して笑殺《しょうさつ》されるようになったが、その頃、また別の噂が後詰《ごづめ》のような形で伝わり始めた。それはやっぱり鞄|変化《へんげ》に関する....
食魔」より 著者:岡本かの子
ぞというものは腐るものではないから余計とって置いて差支えない。よろしく気持の上の後詰の分として余分の本数をとって置くべきであると。いま、逸子が酒屋へのビール注文....
姉川合戦」より 著者:菊池寛
ばずとありけるを聞て、遠藤喜右衛門然るべく覚え候。兎角する内に、横山の城中の者も後詰なきを恨み降参して敵へ加はるまじきにもあらず、信長当方へ打入りしより以来、心....
桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
いたら寺部等の諸砦は速かに大高表に馳せつけよ、丹下、中島二城の兵は、丸根、鷲津の後詰をせよと命じて手ぐすねひいて待ち構えて居た。 四月十七日夜に入ると共に支度....
長篠合戦」より 著者:菊池寛
年には遠江に来って、高天神城を開城せしめた。家康は、わずか十里の浜松にありながら後詰せず、信長は今切の渡まで来たが、落城と聞いて引き返した。 勝頼の意気軒昂た....
天草四郎の妖術」より 著者:国枝史郎
よいものじゃ。いろいろのことが見られるからの」 「が、此度が打ち止めであろうぞ。後詰めする味方があるではなし」 「豊臣恩顧の大名共、屈起するかと思ったが是だけは....
今昔茶話」より 著者:国枝史郎
の来襲』の中に書かれてある殺人光線放射器が、やがて発明されないと誰がいい得よう。後詰め(ゴズメ)というのは、日本の昔の戦争に於ける専門語であって、それは、Aとい....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
門清久は大崎の古河城、今の小牛田《こごた》駅より西北の地から出張して、佐沼の城の後詰を議したところ、一揆の方は予《あらかじ》め作戦計画を立てて居たものと見えて、....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
お行列が練りだしましたものでしたから、いぶかりながらもお見送り申しあげていると、後詰めの徒侍《かちざむらい》がやはり六十名。それにお牽馬《ひきうま》が二頭、茶坊....
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
只今めえります! ――やい! ざまアみろい! 一番手は京弥様。二ノ陣は傷の御前、後詰は峠なしの権次と、陣立てをこしれえてから、乗り込んで来たんだ。よもや、おいら....
南国太平記」より 著者:直木三十五
、割込ませて頂きます」 「侍?」 「薩摩の方で、今日の喧嘩のつづきでさあ。後から後詰の方が、追々参られるそうで」 七瀬と、綱手とは、身体中を固くして、不安に、....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
怪《もっけ》の幸いと感じたくらいのものであります。 その中にも、岡田弥市と共に後詰《ごづめ》の役を引受けた机竜之助は、またしても思いがけず島田虎之助と聞いて、....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
てみろ」 「弱い音《ね》を吹くじゃねえか」 七兵衛は起き上る。七兵衛も寝ながら後詰《ごづめ》の身ごしらえしていたが、がんりきからいま忍び込んだ様子の首尾を逐一....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
を突留める分にはなんでもございませんが、いざという時、野郎共では……」 「よし、後詰《ごづめ》はこちらでする。市五郎、其方《そのほう》大儀でも分部《わけべ》、山....