後軍[語句情報] »
後軍
「後軍〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
後軍の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
将ならば千曲川の左岸に陣取って、海津城にかかって行ったに違いないのである。 『越
後軍紀』に「信玄西条山へ寄せて来て攻むるときは、彼が陣形常々の守を失ふべし、その....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
んで、五人の旗頭、服部|玄蕃允、渡辺大蔵、太田左近、早川大膳、菊川隠岐守に退いて
後軍に合する様にすすめたけれども、誰一人聴かなかった。 永禄三年五月十八日の夜....
「田原坂合戦」より 著者:菊池寛
更に木葉に至った。その上に前軍は既に田原坂を占領したとの報がある。勇躍した乃木は
後軍の直に続かんことを伝えたが、意外にも三好少将の退却の命に接した。乃木は此地一....
「琥珀のパイプ」より 著者:甲賀三郎
いと云う事と、軍隊が必要であると云う事は別問題です」 「然し、いくら君でも、地震
後軍隊の働いた事は認めるじゃろう」 「そりゃ認めますとも」青年は云った。「けれど....
「運命」より 著者:幸田露伴
軍を立てゝ、張玉を中軍に、朱能を左軍に、李彬を右軍に、徐忠を前軍に、降将|房寛を
後軍に将たらしめ、漸く南下して京軍と相対したり。十一月、京軍の先鋒陳暉、河を渡り....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
養子す。同年十月家督譲る。 ◇弟 梅津九郎助。荒巻軍平養子となり伊右衛門という。
後軍治と改めその後行度と改む。明治九年三月二十日卒す。行栄という。行年五十四歳。....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
、あれは新聞班として出版したもので、必ずしも陸軍省の意見ではないと云いながら、今
後軍部は、経済動員や資金動員などの国民的動員計画について、続々この種のパンフレッ....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
、その面《おもて》は鮮《あざや》かな薔薇色《ばらいろ》をしていた。一証人が、その
後軍法会議の前で、「アポロンと呼ばるるひとりの暴徒がいた」と語ったのは、たぶん彼....
「ぼたもち」より 著者:三好十郎
。けど次郎は予備隊へ入るんだなんて言うから、俺あ反対してんだ。予備隊というのは今
後軍隊みてえになるらしいんだ。 りき ほうか、軍隊か? (わらじをはきながら) ....
「母子像」より 著者:久生十蘭
子大を出た才媛で、会社のデパートやクラブで働いている女子職員の監督でしたが、その
後軍の嘱託になって、「水月」という将校慰安所を一人で切りまわしていました。非常な....
「三国志」より 著者:吉川英治
馳せ出会う。 また、司徒|王允、太尉|楊彪、左軍校尉淳于瓊、右軍の趙萌、同じく
後軍校尉鮑信などがめいめい数百騎をひきいて来合せ、帝にまみえて、みな哭いた。 「....
「三国志」より 著者:吉川英治
せん。よろしく江夏城の黄祖をもって、要害をふせがせ、荊州|襄陽の大軍をこぞって、
後軍に固く備えおかれれば、大江を隔てて孫堅もさして自由な働きはできますまい」 ....
「三国志」より 著者:吉川英治
前督部鎮北将軍領丞相司馬 魏延 前軍都督領|扶風太守 張翼 牙門将裨将軍 王平
後軍領兵使 呂義 兼管運粮左軍領兵使 馬岱 副将飛衛将軍 廖化 右軍領兵使奮威将....
「三国志」より 著者:吉川英治
軍|張※を大先鋒とし、郭淮に隴西の諸軍を守らせ、彼自身の中軍は堂々、右翼左翼、前
後軍に護られて、渭水の前に、大陣を布いた。 祁山は霞み、渭水の流れも温んできた....
「戦争ジャーナリスト論」より 著者:戸坂潤
ナリストなどという存在とは直接関係のない世界でのことだが、併し之を以て、一般に今
後軍事ジャーナリスト達(主に執筆家)の歩まねばならぬ道を卜するには足りるだろう。....