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後陣
「後陣〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
後陣の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「琴のそら音」より 著者:夏目漱石
表して相手の気色《けしき》を窺《うかが》う。向うが少しでも同意したら、すぐ不平の
後陣《ごじん》を繰《く》り出すつもりである。 「なるほど真理はその辺にあるかも知....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
前夜細雨があったためか、一寸先もわからぬ濃霧である。 『川中島五度合戦記』に「越
後陣所ヨリ草刈ドモ二三十人未明ヨリ出デカケマハリ云々」とあるは、天文二十三年のこ....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
資の言を聴いて許さない。非戦論者達は、では長篠城を抜いて勝頼を入れ、一門の武将は
後陣となり、我等三名は川を越えて対陣し、持久の策を採らば、我軍の兵糧に心配ないの....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
家は東山道から潮の様に小田原指して押しよせた。「先陣既に黄瀬川、沼津に著ぬれば、
後陣の人は、美濃、尾張にみちみちたる」とあるくらいだから、正に天下の大軍である。....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
浪士は交代で敵の夜襲を警戒したり、宿内の火の番に回ったりした。 三百人ばかりの
後陣の者は容易に下諏訪へ到着しない。今度の戦闘の遊軍で、負傷者などを介抱するのも....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
蒲生重代の銀の鯰《なまず》の兜《かぶと》を持たせて置いたところ、氏郷自身先陣より
後陣まで見廻ったとき、此処に居よというところに其侍が居なかった。そこで氏郷が、屹....
「八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
のが、巨大な五頭の猛牛であった。と、三十頭の土佐犬が、葉之助の周囲を囲みながら、
後陣として駈け出した。 入り込んだ所は中庭であった、すなわち第一の中庭であった....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
んの一行が垂井を出発したからほどなくこれへ見えることでしょう。 前路より米友、
後陣よりお角さんの一行が到着してみれば、道庵も、この苦境を乗り越すことができない....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
、じだんだが川原の砂地へ喰い入りました。ここで今、生活の白兵戦が始まるのだ、さあ
後陣《ごじん》が続く続く。 なだれを打って、後ろから人数が繰出して来たぞ。 ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
参している。 さればこそ、この不具者《かたわもの》に先《せん》を譲って、自分が
後陣を承って甘んじている。米友に言葉の上で甲を脱がせはしたが、さりとて弁信は少し....
「雪の武石峠」より 著者:別所梅之助
春の風なら柔《やわら》かになでるのだけれど、これは先陣が、つと頬を切ってゆくと、
後陣がまた、すいと刺してゆく。夏なら人をもゆるしてやる。しかし今この冬の王の宮居....
「三国志」より 著者:吉川英治
た孫堅の陣はもちろん、 「来れや、敵」と、覚悟のまえの緊張を呈していた。 その
後陣に、済北の鮑信が備えていたが、北軍南下の報らせを聞くと、弟の鮑忠をそっと呼ん....
「三国志」より 著者:吉川英治
よ」 顔良が討たれたので、顔良の司令下にあった軍隊は支離滅裂、潰走をつづけた。
後陣の支援によって、からくも頽勢をくい止めたものの、ために袁紹の本陣も、少なから....
「三国志」より 著者:吉川英治
そして、曹丞相、曹丞相と、降をさけんで、彼の陣地へ雪崩れこんできた。 曹操は、
後陣を開かせて、 「予の立つ大地には、一人の餓死もさせぬぞ」と、すべてを容れた。....
「三国志」より 著者:吉川英治
を指摘して、「――関羽は千五百をひきいて予山にひそみ、敵軍の通過、半ばなるとき、
後陣を討って、敵の輜重を襲い、火をかけて焚殺せられよ。張飛は、同じく千五百の兵を....