後鳥羽院[語句情報] »
後鳥羽院
「後鳥羽院〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
後鳥羽院の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
にその多くは合祀で失われおわる。一、二を挙げんに、出立《でたち》王子は定家卿の『
後鳥羽院熊野御幸記』にも見るごとく、この上皇関東討滅を熊野に親しく祈らんため、御....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
神大黒天、満善車王など槌を持ったが少なからず(『仏教図彙』)。定家卿の『建仁元年
後鳥羽院熊野御幸記』に鹿瀬山を過ぎて暫く山中に休息小食す、この所にて上下木枝を伐....
「法然行伝」より 著者:中里介山
如法経《にょほうきょう》になぞらえて書写すべき法則を定められたのもこの時である。
後鳥羽院にも度々勅請あって、円戒を御伝授、上西門院、修明門院、同じく御授戒があっ....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
うした愛惜の情を許されるであろう。 ただ一箇所意識して正した所がある。第七節|
後鳥羽院関係の叙述の終近く、初版には「上皇の風雅であり、遊びであらせられる。しか....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
衆を手兵としてお堅めです。めッたに手出しはなりますまい」 「いや、承久ノ乱には、
後鳥羽院を隠岐へ、順徳上皇を佐渡ヶ島へ、ほか親王方をも、仮借なく牢舎にした北条氏....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
郡|隈府町がその本拠だった。 元々、上古の久米部の兵士の裔でもある。 中頃、
後鳥羽院の武者所に勤番し、承久ノ乱にも宮方、元寇の乱にも、率先、国難にあたってき....
「随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
い。 ここで過誤のおわびをしておく。第三百十四回“佐渡へ”の中で、流謫のお方を
後鳥羽院としたのは全く私の思いちがいで「順徳天皇」でなければならない。 とたん....