徒然草[語句情報] » 徒然草

「徒然草〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

徒然草の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
ふもれすく」より 著者:辻潤
だ。僕はこれでも人生の苦労は少年時代からかなりやってきているのだ。十三、四の頃『徒然草』を愛読して既に厭世を志した程に僕の境遇はよくなかったのだ。僕の頭は由来、....
自分だけの世界」より 著者:辻潤
奴をやっていたのだ――僕の十四五時分の愛読書(今でも時々引っ張り出して読む)が「徒然草」であったことを考えて見ても自分のその頃の心持は略々《ほぼ》察せられる。そ....
新釈諸国噺」より 著者:太宰治
おのれ、いま生きていたら、訴訟をしても、ただは置かぬ、と十三歳の息子の読みかけの徒然草を取り上げてばりばり破り、捨てずに紙の皺をのばして細長く切り、紙小縒を作っ....
鉄面皮」より 著者:太宰治
推して知るべしだ。所詮、まともではない。賢者は、この道を避けて通る。ついでながら徒然草に、馬鹿の真似をする奴は馬鹿である。気違いの真似だと言って電柱によじのぼっ....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
んで置いて、折々出して見るのでした。 女学校の始めの頃に学校で読みましたのは『徒然草抜穂』『土佐日記』『竹取物語』などで、きっと教科書用に拵えたのでしょう、誰....
小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
は思い切ってまた語り出した。 「御坊の筆ずさみとて、このごろ専ら世に持て囃さるる徒然草という草紙、わたくしもかねて拝見しておりまする。」 「つれづれなるままに、....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
夷の計のごとし。とあるなど、その例、枚挙にいとまあらざるなり。また、兼好法師の『徒然草』に、 人毎に我身にうとき事をのみぞ好める。法師は兵の道をたて、夷は弓引....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
いても今戸は震害地だったから地震の火事で焼けてしまったろう。 椿岳は晩年には『徒然草』を好んで、しばしば『徒然草』を画題とした。堀田伯爵のために描いた『徒然草....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
て落ち失せぬ。 と云っております。また東国人の義理堅いことについては、兼好法師の徒然草に、 東人こそ言ひつる事は頼まるれ、都の人は言承けのみよくて実なし。 とも....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
ている。恐らく、『新古今』に心をかけて、及ばぬまでもそれを学ぼうとする態度は、『徒然草』に兼好がいったところの、昔の歌はみなよく見える、今のは無下にだめになった....
粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
あれは端物だがいゝねえ、英一|蝶の画に其角が賛をしたという、吉田の兼好法師の作の徒然草を」 若「へえ何方さまで」 客「お耄けでない、唄ったよ、お前が撥を持って、....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
う様になりました。しかしもともと武士には蝦夷すなわちエビス出身が多かったから、「徒然草」などを始めとして、鎌倉南北朝頃の書物を見ますと、武士のことを「夷」と云っ....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
河原」という地名が所々にある。上方では摂津旧島下郡と旧武庫郡とにそれがあって、「徒然草」に虚無僧の仇討で有名な宿河原は、普通に武庫郡の方の事として解せられている....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
かったであろうが、単に法師といえばすでに人を馬鹿にしたことになっていたらしい。『徒然草』に、 とこそ申さめと言はれけり。いみじき秀句なりけり。 とある。これが....
放免考」より 著者:喜田貞吉
重ねて鉾(木の枝)を持ちて行く。特に注意すべきは、胸に造花風流を付して行く。これ徒然草に所謂放免のつけものなり。摺染とは昔は木版の上に裂を貼り、山藍の葉をもつて....