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従五位
「従五位〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
従五位の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「婦系図」より 著者:泉鏡花
るのでも大略解る。酒に酔わずにアルコオルに中毒るような人物で。 年紀は二十七。
従五位|勲三等、前の軍医監、同姓|英臣の長男、七人の同胞の中に英吉ばかりが男子で....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
来た。 「ホ。半蔵さん、御覧なさい。ここに三浦|兵衛尉義勝とありますよ。この人は
従五位|下だ。元弘二年|新田義貞を輔けて、鎌倉を攻め、北条高時の一族を滅ぼす、先....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
うもの》と往来する高橋伊勢め、幸いの折だ、清川もろともに叩き斬るがよい、それとも
従五位《じゅごい》の槍が怖《こわ》いかな」 芹沢はこういって近藤、土方の面を意....
「少年と海」より 著者:加能作次郎
したことは奇特の至りだという褒め言葉が書いてありました。そして終りに××県知事|
従五位勲四等△△△△と、その下に大きな四角な印を押してありました。 「それから後....
「連環記」より 著者:幸田露伴
、是忠親王の曾孫であり、父の篤行から平姓を賜わり、和漢の才もあった人ではあるが、
従五位上|駿河守になっただけで終った余り世栄を享けなかった人であるから、年齢其他....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
族仲間の子弟と遊び出したら、私達は顧みもしなくなるだろう』といっていた。大宮司は
従五位上肥後守といっていたが、藩の士に対しては卑下していた。私はたまたま家主の子....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
花 〔巻八・一四三五〕 厚見王 厚見王の歌一首。厚見王は続紀に、天平勝宝元年に
従五位下を授けられ、天平宝字元年に
従五位上を授けられたことが記されている。甘南備....
「大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
江戸っ子だ。俺の好きなのは平民だ。勝麟太郎、これでいいのだ。つめて云うと勝麟だ。
従五位も無用なら安房守も無用だ。勝麟々々これでいいのだ。だがそう云ってはいられな....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
ます。 そしてホンモノのヒダの神様にはなかなか位をやらなくて貞観九年にはじめて
従五位下をやり、延喜式神名帳では、ヒダは全部でたった八ツの神で、それも全部小です....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
つ次々とあって、コマの移住者の比ではないようだ。 ただ大宝三年四月の条に、 「
従五位下高麗若光に王姓を与えた」 とあって、大宝三年というとコマ亡びて三十五年....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
は、その後にもすこぶる盛んなりしものと見え、天応元年五月、正六位上佐伯部三国に外
従五位下を授け、さらに延暦二年六月に、姓佐伯|沼田連を賜わりしことあり。彼は当時....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
いたはけだし類を絶しているだろう。 高橋健三は官報局の局長室に坐している時でも
従五位勲何等の局長閣下でなくて一個の処士|自恃庵主人であった。浜田は簡樸質素の学....
「時勢と道徳観念」より 著者:喜田貞吉
、その名をも海運橋と改めて、この歴史的紀念の佳名を失ってしまった。海賊藤原純友は
従五位下の位を以て誘われたが、彼はこれに応ずべく余りに剛胆であった。彼は今昔著者....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
るに至ったものであろう。また続日本紀大宝二年正月条には、正六位上|丹比間人宿禰に
従五位下を授くとあって、別に火明命の後裔と称する丹治比姓のもので、間人姓を称えた....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
たのでありました。 しかるに奈良朝の末に至り、もと蝦夷の出身で、勲功によって外
従五位下勲六等という位階勲等を賜わり、今の宮城県栗原郡地方にあった上治郡の大領に....