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従軍
「従軍〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
従軍の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「彼 第二」より 著者:芥川竜之介
《くちょう》を変え Brother と僕に声をかけた。
「僕はきのう本国の政府へ
従軍したいと云う電報を打ったんだよ。」
「それで?」
「まだ何《なん》とも返事は....
「将軍」より 著者:芥川竜之介
だった。
将軍を始め軍司令部や、兵站監部《へいたんかんぶ》の将校たちは、外国の
従軍武官たちと、その後《うしろ》の小高い土地に、ずらりと椅子《いす》を並べていた....
「或る女」より 著者:有島武郎
そそられていたころであったが、木部は二十五という若い齢《とし》で、ある大新聞社の
従軍記者になってシナに渡り、月並みな通信文の多い中に、きわだって観察の飛び離れた....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
とにひそかに憧れていたのだ。 「君等は軍人になって戦争に出たまえ。その時には僕は
従軍記者になって行こう。そして戦地でまた会おう。」 僕は軍人生活がいやになった....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
って、輿をめちゃめちゃに踏みこわした。輿は無論に空であった。 また、烏魯木斉に
従軍の当時、軍士のうちで馬を失った者があった。一人の紅教喇嘛が小さい木の腰掛けを....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
その一は、明治三十七年の九月八日か九日の夜とおぼえている。わたしは東京日日新聞の
従軍記者として満洲の戦地にあって、遼陽陥落の後、半月ほどは南門外の迎陽子という村....
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
七の男は語る。 明治三十七年八月二十九日の夕方である。僕はその当時、日露戦争の
従軍新聞記者として満洲の戦地にあって、この日は午後三時ごろに楊家店という小さい村....
「最古日本の女性生活の根柢」より 著者:折口信夫
たが、なお、その行きわたらなかった地方には、存していたろうと思われるのは、女子の
従軍である。昔から学者は軍旅の慰めに、家妻を伴うたものと解している。もっとも、こ....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
、その後も戦争劇を続々上演した。殊に川上音二郎は浅草座で好成績を占めると、すぐに
従軍許可願の運動に着手して、ともかくも朝鮮まで出かけて行った。そうして「川上音二....
「はなしの話」より 著者:岡本綺堂
の記憶がまざまざと甦って来るのである。 明治三十七年、日露戦争の当時、わたしは
従軍新聞記者として満洲の戦地へ派遣されていた。遼陽陥落の後、私たちの一行六人は北....
「久保田米斎君の思い出」より 著者:岡本綺堂
御父さんの米僊先生とは大分違うと思います。 日清戦争の時には米僊先生も米斎君も
従軍、弟さんの金僊君は日清、日露とも
従軍されたようにおぼえています。私は金僊君の....
「一日一筆」より 著者:岡本綺堂
朝の町を駈け廻っている。 私は椅子に腰をかけて、ただ茫然と眺めている中に、満洲
従軍当時のありさまをふと思い泛んだ。戦場の混雑は勿論これ以上である。が、その混雑....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
て幼き弟妹が餓に泣くほどのドン底に落ちた。団匪事件の時、陸軍通訳として招集され、
従軍中しばしば清廷の宗室大官と親近する中に計らずも粛親王の知遇を得たのが青雲の機....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
屋を誅伐された時でありました。御齢は十四歳でいられました。束髪にして打もの執って
従軍されましたが、敵勢が盛んなるを御覧になって、仏天の加護を得ずんば願成り難しと....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
時に於ける動員は所要兵力を基礎として、ある年齢の男子を総て召集する。その年齢内で
従軍しない者は総て国家の必要なる仕事に従事せしめる。自由企業等はその年齢外の人々....