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御像
「御像〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
御像の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「邪宗門」より 著者:芥川竜之介
は、茉利夫人とやらのようでもございませぬ。いや、それよりはこれまでのどの仏菩薩の
御像《おすがた》にも似ていないのでございます。別してあの赤裸《あかはだか》の幼子....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
に彼の顔色は変った。 「これは何でございます」と、彼はしずかに訊いた。 「弁天の
御像でござります」 それは嘘であることを澹山はよく知っていた。この古びた女人像....
「春昼」より 著者:泉鏡花
ざいますから、自然、貴下がたには、仏教、即ち偶像教でないように思召しが願いたい、
御像の方は、高尚な美術品を御覧になるように、と存じて、つい御遊歩などと申すような....
「七宝の柱」より 著者:泉鏡花
ある。 そのまま、鬼子母神を礼して、ソッと戸を閉てた。 連の家内が、 「粋な
御像ですわね。」 と、ともに拝んで言った。 「失礼な事を、――時に、御案内料は....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ことには―― この善光寺様には、日本最初の阿弥陀如来様《あみだにょらいさま》の
御像があるということ。 人生れてこの寺に詣《もう》ずれば、浄土の往生疑いなしと....
「星女郎」より 著者:泉鏡花
出して、情なさそうに、銀の指環を視める処が、とんと早や大病人でな。 お不動様の
御像の前へ、かんかん燈明を点じまして、その夜は一晩、私が附添ったほどでござります....
「カラマゾフの兄弟」より 著者:ドストエフスキーフィヨードル・ミハイロヴィチ
あった。そのうえ涙さえ眼に輝きだしたほどである。「さっきわしが話した聖母マリヤの
御像も、おまえにやるから持って行くがいい、お寺へも帰るがいいぞ……今日言ったこと....
「生死卍巴」より 著者:国枝史郎
た。と、小枝は唄い出した。 ※メッカの礼拝堂に 信者らの祈る時、 帳の奥におわす
御像の脚に捧げまつらん 日の本の燕子花を。 「みんなも燕子花を取るがよいよ」 ....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
者を従え、この大河に網打ちに出掛けたところ、その網に一寸八分黄金|無垢の観世音の
御像が掛かって上がって来た。主従は有難きことに思い、
御像をその駒形堂の所へ安置し....
「回想録」より 著者:高村光太郎
を最高のところに置きたい。此は彫刻などと呼ぶ以上に精神的な部類に入って了う。この
御像は彫刻の技術としては無器用であるけれども、その無器用な所が素晴しい。彫刻的に....
「美の日本的源泉」より 著者:高村光太郎
仰の念と、太子|薨去に対する万感をこめての痛惜やる方ない悲憤の余り、造顕せられた
御像と拝察せられ、他の諸仏像とは全く違った精神雰囲気が
御像を囲繞しているのを感ず....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
、静かにその前に正坐りました。そして礼拝しました。多年眼に滲みて忘れなかったその
御像は昔ながらに結構でありました。 けれども、お姿に金が附いていたためにアワヤ....
「夫人利生記」より 著者:泉鏡花
こに記して―― 筆者は、無憂樹、峰茶屋心中、なお夫人堂など、両三度、摩耶夫人の
御像を写そうとした。いままた繰返しながら、その面影の影らしい影をさえ、描き得ない....
「河伯令嬢」より 著者:泉鏡花
(まあ、違いますよ、私は見はいたしません。) (ええ、それでは。) (明神様の
御像を、和尚さんが抱いて出たのでございます。お慰みに、と云って、私は出はいたしま....
「少年の食物」より 著者:木村荘八
床の間にはあれがあるものと思っていました。尤も時々何だか薄い絵だとか、歴代天皇の
御像だとか、正月には七福神とか、僕の五月には鍾馗、妹の三月には雛などとかけ代った....