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「御史〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

御史の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
黄粱夢」より 著者:芥川竜之介
《しんし》の試験に及第して、渭南《いなん》の尉《い》になりました。それから、監察御史《かんさつぎょし》や起居舎人《ききょしゃじん》知制誥《ちせいこう》を経て、と....
神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
王子、湯川王子、小広王子)。一村に至尊、ことにわが朝の英主と聞こえたる後鳥羽院の御史蹟六つまで存するは、恐悦に堪えざるべきはずなるに、二、三の村民、村吏ら、神林....
山月記」より 著者:中島敦
もない。その後李徴がどうなったかを知る者は、誰《だれ》もなかった。 翌年、監察御史《かんさつぎょし》、陳郡《ちんぐん》の袁※《えんさん》という者、勅命を奉じて....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
するので、久しく鎖されたままで住む者もなかった。 唐の貞元年中に盧虔という人が御史に任ぜられて、宿所を求めた末にかの古屋敷を見つけた。そこには怪異があるといっ....
運命」より 著者:幸田露伴
の好人物なり。時に事に当る者、子澄、泰の輩より以下、皆諸王を削るを議す。独り巍と御史韓郁とは説を異にす。巍の言に曰く、我が高皇帝、三代の公に法り、※秦の陋を洗い....
陸判」より 著者:田中貢太郎
て、 「佩刀を渾に贈れ」 と言った。緯は父の言葉に従って渾に贈った。渾は後に都御史になって政治に功績があった。....
李陵」より 著者:中島敦
ろうぞと。群臣皆この廷尉の類であった。丞相《じょうしょう》公孫賀《こうそんが》、御史大夫《ぎょしたいふ》杜周《としゅう》、太常《たいじょう》、趙弟《ちょうてい》....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
い。いったん買い取った以上は、その女を他人に譲ることは出来ないというので、さらに御史台に訴え出たが、ここでも容易に判決をくだしかねて、かれこれ暇取っているうちに....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
、それらは一種の贓品と見なして官庫に没収された。 泰不華元帥はその当時|西台の御史であったので、その事件の記録に朱書きをして、「鬼贓」としるした。鬼の贓品とい....
田七郎」より 著者:田中貢太郎
、どこへいったのかいった処が解らなかった。二、三日過ぎてから始めて林児が某という御史の家にいることが解った。そしてその御史某は都の方で官職にいたので、家事のこと....
岷山の隠士」より 著者:国枝史郎
た。 新皇帝|粛宗に向かって、いろいろの人が命乞いをした。 宣慰大使崔渙や、御史中丞宋若思や、武勲赫々たる郭子儀などは、その最たるものであった。 そこで李....
三国志」より 著者:吉川英治
て、彼の館門を叩いた。 「西涼の董卓も、兵をさげてやって来るようですが」 ――御史の鄭泰なる者が、何進の前に来て云った。 「檄文は、董卓へもお出しになったんで....
三国志」より 著者:吉川英治
陛下のために苦労してきた奴らですから、ひとつ官職を与えてやっておくんなさい。――御史とか、校尉とか、なんとか、肩書をひとつ」 と、強請ったりした。 あまりの....
三国志」より 著者:吉川英治
だちに大軍を下江させて、呉を伐ち取らんか」 と提議したが、折ふし都へ来ていた侍御史張紘がそれを諫めて、 「人の喪に乗じて、軍を興すなどとは、丞相にも似あわしか....
三国志」より 著者:吉川英治
になろう。彼は数日、庁の奥にとじ籠って対策をねっていた。 ここに丞相府の治書侍御史参軍事で陳群、字を文長というものがあった。彼が曹操に向っていうには、 「玄徳....