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御名代
「御名代〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
御名代の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「忠義」より 著者:芥川竜之介
始めとして、寛永十四年島原の乱に際しては西国《さいごく》の軍に将として、将軍家|
御名代《ごみょうだい》の旗を、天草《あまくさ》征伐の陣中に飜《ひるがえ》した。そ....
「出家とその弟子」より 著者:倉田百三
。 親鸞 うむ。(間)私が比叡山で一生懸命修行しているころであった。慈鎮和尚様の
御名代で宮中に参内して天皇の御前で和歌を詠ませられた。その時の題が恋というのだよ....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
ねに正々堂々、よしや悪を懲らすにしても女々しき奸策を避けてこそ本懐至極じゃ。天下
御名代のお身でござる。愚か致しましたら、竜造寺家のお名がすたり申しましょうぞ」 ....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
ござりまするが、いかがでござります」 「深川はどこじゃ。女子がおるか」 「御前は
御名代の女ぎらい、――いいえ、おすきなようなお嫌いなような変ったお気性でござりま....
「菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
、予の病気より梅の御殿の方が案じられると折々仰せられます、今日は御病気伺いとして
御名代に罷り出ました、是れは水飴でございますが、夜分になりますとお咳が出ますとの....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
伝えてはない。その聞書には、 「四月十一日。石清水行幸の節、将軍家御病気。一橋様
御名代のところ、攘夷の節刀を賜わる段にてお遁げ。」 とある。この「お遁げ」はい....
「小説 不如帰 」より 著者:徳冨蘆花
りてひたと渋るを怪しめるなり。 山木はわずかに口を開き、 「実は今日は川島家の
御名代でまかりいでましたので」 思いがけずといわんがごとく、主人の中将はその体....
「堺事件」より 著者:森鴎外
尾は云った。 「これは御隠居様がお直に仰せ渡される筈であるが、御所労のため拙者が
御名代として申し渡す。この度の堺事件に付、フランス人が朝廷へ逼り申すにより、下手....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
、 「東雲さんは病気で休んでおいでなさいます、まあ、よろしいではございませんか、
御名代《ごみょうだい》を……」 兵馬は、そんなことは聞いておられない。 「東雲....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
いう御答歌で、陛下よどうぞ御心配あそばすな、わたくしも皇祖神の命により、いつでも
御名代になれますものでございますから、というので、「吾」は皇女御自身をさす。御製....
「水の女」より 著者:折口信夫
る壬生部は、貴種の子の出現の始めに禊ぎの水を灌ぐ役を奉仕していたらしい。これが、
御名代部の一成因であった。壬生部の中心が、氏の長の近親の女であったことも確かであ....
「興津弥五右衛門の遺書」より 著者:森鴎外
も晴がましく候て、心苦しく候えども、これまた主命なれば是非なく候。立会は御当代の
御名代谷内蔵之允殿、御家老長岡与八郎殿、同半左衛門殿にて、大徳寺清巌実堂和尚も臨....
「つづれ烏羽玉」より 著者:林不忘
やいや、貴様が殺した。何といっても津賀閑山があの女を殺したのだ」 妻恋坂の殿様
御名代として推参した猫侍の内藤伊織、面白ずくにだんだん声を高めて行くところ、だい....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
。 ともあれ、ここに初めて、菊水の旗が時代の空へ掲げられ、その赤坂城には、天皇
御名代格の一ノ宮も加わっていた。 一書には、大塔ノ宮も共に籠城のように記してい....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
いお人へも、正成は決して非礼をしなかった。かつての、後醍醐の近臣であるので、その
御名代のごとく仕えてきた。そしていまもつぶさに、その床几へむかって大捷の報告をす....