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「御家人〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

御家人の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
籠釣瓶」より 著者:岡本綺堂
ろに奔走して、この冬の初めから謡いの出稽古の口を見つけ出した。それは堀田原のある御家人《ごけにん》の家で、主人のほかに四、五人の友達が集まって、一六《いちろく》....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
茶の水の聖堂で素読《そどく》吟味《ぎんみ》が行なわれた。素読吟味というのは、旗本御家人の子弟に対する学問の試験で、身分の高下を問わず、武家の子弟が十二三歳になる....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
残っていた。 「どうだ、半七。なにか掘り出したか。しっかり頼むぜ。質の悪い旗本か御家人どもの仕業じゃあねえかな」 「そうですね」と、半七もかんがえていた。「まあ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
新屋敷というのは今の千駄ヶ谷の一部で、そこには大名の下屋敷や、旗本屋敷や、小さい御家人などの住居もあるが、うしろは一面の田畑で、路ばたに大きい竹藪や草原などもあ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
はほんとうの浪士もあったであろうが、その大多数は偽浪人の偽攘夷家で、質のわるい安御家人の次三男や、町人職人のならず者どもが、俄か作りの攘夷家に化けて、江戸市中を....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
という名が出来たのでしょう。その辺には大名の下屋敷、旗本屋敷、そのほかにも小さい御家人の屋敷がたくさんありまして、そのあいだには町屋もまじっていましたが、一方に....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
んとかしてこの幽霊の真相を探りきわめる工夫はあるまいかと相談した。旗本に限らず、御家人に限らず、江戸の侍の次三男などというものは、概して無役の閑人であった。長男....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
人組が近頃所々に徘徊する。しかも、その中にほんとうの浪人は少ない。大抵は質の悪い御家人どもや、お城坊主の道楽息子どもや、或いは市中の無頼漢どもが、同気相求むる徒....
梵雲庵漫録」より 著者:淡島寒月
だものだった。その頃は幕府|瓦解の頃だったから、八万騎をもって誇っていた旗本や、御家人が、一時に微禄して生活の資に困ったのが、道具なぞを持出して夜店商人になった....
西瓜」より 著者:岡本綺堂
蔵に近い稲城の屋敷へ帰り着いたころには、日もまったく暮れ切っていた。稲城は小身の御家人で、主人の八太郎夫婦と下女一人、僕一人の四人暮らしである。折りから主人の朋....
」より 著者:岡本綺堂
て、九つか十歳ぐらいの女の子を連れていたそうで、まあ見たところでは浪人者か小身の御家人の御新造でもあろうかという風体で、左の眼の下に小さい痣があったそうです。」....
」より 著者:岡本綺堂
人達もあったが、多くの中には攘夷の名をかりて悪事を働く者もある。 小ッ旗本や安御家人の次三男にも、そんなのがまじっていた。弥三郎もその一人で、二、三人の悪仲間....
」より 著者:岡本綺堂
かに、手代三人、小僧二人、女中二人、仲働き一人の十一人家内で、おもに近所の旗本や御家人を得意にして、手堅い商売をしていた。ほかに地所|家作なども持っていて、町内....
二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
能く云い云いした。 二葉亭のお父さんは尾州藩だったが、長い間の江戸|詰で江戸の御家人化していた。お母さんも同じ藩の武家生れだったが、やはり江戸で育って江戸風に....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
とがある。」 僕「『割下水』もやっぱり変ってしまいましたよ。」 母「あすこには悪御家人が沢山いてね。」 僕「僕の覚えている時分でも何かそんな気のする所でしたね。....