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御年
「御年〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
御年の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「邪宗門」より 著者:芥川竜之介
になった時の事を、あらまし申し上げて置きましょう。
あれは確か、若殿様の十九の
御年だったかと存じます。思いもよらない急な御病気とは云うものの、実はかれこれその....
「奇怪な再会」より 著者:芥川竜之介
いか、挨拶《あいさつ》のしように困るのだった。
「つきましては今日《こんにち》は
御年始かたがた、ちと御願いがあって参りましたんですが、――」
「何でございますか....
「俊寛」より 著者:芥川竜之介
《なりつね》などは、ふさいでいなければ居睡《いねむ》りをしていた。」
「成経様は
御年若でもあり、父君の御不運を御思いになっては、御歎きなさるのもごもっともです。....
「箕輪心中」より 著者:岡本綺堂
敷へあがるたびに、いろいろのお土産を頂いて帰るのが例であった。殊にきょうは初春の
御年始に伺ったのであるから、何かの下され物はあるだろうと十吉は内々予期してはいた....
「若返り薬」より 著者:海若藍平
さま》の手箱の中に赤い丸薬があった事を思い出しました。ちょうどお祖父《じい》様は
御年始に行かれた留守でしたから、そっとお室《へや》へ行って床の間の手箱をあけて丸....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
はね」と、お勝は更に説明した。「四、五日前に白魚河岸《しらうおがし》のおじさんが
御年始にきた時に、お母さまに話したので……。八丁堀でも内々|探索《たんさく》して....
「義民甚兵衛」より 著者:菊池寛
方じゃ、もう松葉食うとるだ。 およし 民百姓がこなに苦しんどるのに、お上じゃまだ
御年貢を取るつもりでいるんじゃてのう。 甚作
御年貢米の代りに、人間の乾干しを収....
「三つの宝」より 著者:芥川竜之介
剣だけは首くらい斬れるかも知れない。 主人 (なだめるように)まあ、あなたなどは
御年若なのですから、一先御父様の御国へお帰りなさい。いくらあなたが騒いで見たとこ....
「死の快走船」より 著者:大阪圭吉
船で事務長をなさっていらっしゃるとかで、休航毎にああしてお遊びに来られます」 「
御年配は?」 「さあ、四十位? と思いますが……まだお独身で、快活なお方ですから....
「白金之絵図」より 著者:泉鏡花
りたい……」 「これ、これ、いやさ、これ。」 「しばらく! さりとても、令嬢様、
御年紀、またお髪の様子。」 娘は髪に手を当てた、が、容づくるとは見えず、袖口の....
「深見夫人の死」より 著者:岡本綺堂
さんは私にむかってそれを否定していた。 「多代子さんは一月の十日、自動車に乗って
御年始に来てくれました。その時に、この二十日ごろから熱海へ行くという話があって、....
「奉行と人相学」より 著者:菊池寛
投げをしようとする老人を助けました」 「うむ」 「何でも、村の貧しいお百姓達が、
御年貢を収めないので、庄屋殿が入牢している。それを救い出すために、村中が五十両と....
「最初の出品画」より 著者:上村松園
と言っては岩井蘭香さんがおられたくらいのもので、蘭香さんは当時もう六十歳くらいの
御年齢でしたから、まるで破格の待遇であったわけだ。東京から跡見玉枝さんなどがこの....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
と、後鳥羽天皇は高倉天皇の第四皇子、安徳帝の西海へ遷幸されて後、寿永二年八月に、
御年わずか二歳で帝位に即かれた。建久三年後白河法皇崩御の後は、院政を止めて親政に....
「古事記」より 著者:太安万侶
のカハマタ姫と結婚してお生みになつた御子はシキツ彦タマデミの命お一方です。天皇は
御年四十五歳、御陵は衝田《つきだ》の岡にあります。 安寧《あんねい》天皇 シキ....