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「御幸〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

御幸の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
仇討三態」より 著者:菊池寛
愚痴になった。無念の涙がはらはらと落ちた。 「お羨ましい。お羨ましい。なんという御幸運じゃ、それに比ぶれば、拙者兄弟はなんという不運でござろうぞ。敵をおめおめと....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
りなく、従来深い玉簾の内にのみこもらせられた旧習をも打ち破られ、帝自らかく国々に御幸したまい、簡易軽便を本として万民を撫育せられることは、彼にはありがたかった。....
愛と美について」より 著者:太宰治
にも奇妙な顔の、小さい犬を一匹だいている。 ふたりは、こんな話をした。 ――御幸福? ――ああ、仕合せだ。おまえがいなくなってから、すべてが、よろしく、す....
爆薬の花籠」より 著者:海野十三
つきませんでしたわ。こんないい工場、そしてあんなにりっぱな御主人! 奥様は日本一御幸福ですわねえ」 「そうでもありませんわ、第一、私たち二人きりで子供がありませ....
華々しき瞬間」より 著者:久坂葉子
傍で御喋りをはじめた。 「本当にいい御夫婦ね、うらやましいわ。いい奥様で、あなた御幸せね」 食事が終った。仁科六郎は苦々しい思いをかくして、たか子にやさしく言....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
に近い三津浜だろうという説が有力であったが、今はもっと道後温泉に近い山寄りの地(御幸寺山附近)だろうということになっている。即ち現在はもはや海では無い。 一首....
雪の宿り」より 著者:神西清
、更には、これは貴方さまよく御存じの公方さま春日社御参詣、また文正の初めには花の御幸。……いやいやそんな段ではございません、その公方さま花の御所の御造営には甍に....
桜花を詠める句」より 著者:杉田久女
りん女 数年前の春だった。寂光院へいそぐ道すがら、次第に山深くいにしえの大原御幸道にわけ入った時、ふと傍らの渓流に一本の山桜がうす紅の葉をかざして咲き傾いて....
あのころ」より 著者:上村松園
をときどき話していられました。 元治元年の年のことであります。 間もなく四条御幸町西入奈良物町に家をたてて、そこで今度は刀剣商をはじめました。 参勤交代の....
画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
ったそうでございます。家業柄、私の生まれ育ちましたのは、京都でもっとも繁華な四条御幸町でありました。一人の姉と共に、母の手一つで育てられたのでございます。 ....
わが母を語る」より 著者:上村松園
死んだのが同じ年の二月。つまり母は、主人を失ってから私を生んだわけです。父は四条御幸町に店を構え、茶舗を創めたばかりのところでした。そんな時に、父が亡くなったの....
今日になるまで」より 著者:上村松園
私は明治八年四月二十三日四条通り御幸町西へ行った所に生まれました。父はこの年の二月既に歿して、私は二十六歳の母の....
間人考」より 著者:喜田貞吉
司男をチュウゲンと呼んだ例も古い。古今著聞集に、 許されて御中間になされにけり。御幸の時は烏帽子かげして、くゝり高くあげて走りければ、興あることになんおぼしめさ....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
ばしば熊野へ詣でられるようになって、一生の中には数十回に及んだお方もある。上皇の御幸であっても、お供の公卿たちは急造の庵に草枕することもあったのだが、それにして....
フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
五十日余も入院していた。大手術を受けたのであった。その病後の療養に、私は小田原の御幸ヶ|浜へ一と月ばかりほど転地していたことがあった。ああ、あの頃だったなと思う....