御影堂[語句情報] »
御影堂
「御影堂〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
御影堂の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「元禄十三年」より 著者:林不忘
びせるべし。」 常磐橋《ときわばし》の東の、石町《こくちょう》一丁目にあって、
御影堂《みかげどう》として知られた、扇をつくる家だった。京都五条の橋の西の
御影堂....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
いろいろな句ものっていた。 茶の花はたてゝもにても手向かな 軒端もや扇たるきと
御影堂 角二つあるのをいかに蝸牛 元日や何にたとへむ朝ぼらけ というもあった。....
「取返し物語」より 著者:岡本かの子
た山科街道。上手には新らしく掘られた空堀、築きがけの土塀、それを越して檜皮葺きの
御影堂の棟が見える。新築の生々しい木肌は周りの景色から浮き出ている感じ。柱五十余....
「法然行伝」より 著者:中里介山
程も大抵想像がつく。如何《いか》に質素倹約のものであったか思いやられて尊い。今の
御影堂《みえいどう》の跡がそれである。 法然が或時云う。 「わしは大唐の善導和....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
さし昇って来ましたから、ここに立ったままでも絵図をさすように、この上の院のお墓、
御影堂、観月亭。――また彼方の求聞持堂、護摩堂、大師堂、食堂、丹生高野神社、宝塔....
「年中行事覚書」より 著者:柳田国男
旅僧の姿で、今でも全国をあるきまわっておられるように言う者があり、高野山の方でも
御影堂の大師のお姿が、毎年のお衣替えにはすっかり法衣の裾を切らせておられるなどと....