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御忌
「御忌〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
御忌の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「源氏物語」より 著者:紫式部
朱雀《すざく》院へ行幸があった。桜の盛りにはまだなっていなかったが、三月は母后の
御忌月《おんきづき》であったから、この月が選ばれたのである。早咲きの桜は咲いてい....
「源氏物語」より 著者:紫式部
るのであるが、音楽の会の催しがあってよいわけではあっても、八月は父君の前皇太子の
御忌月であったから、それにはばかってお暮らしになるうちにますます草の花は盛りにな....
「源氏物語」より 著者:紫式部
会に直接話してみたほうがよいかもしれないなどと思っていたが、三月の二十日は大宮の
御忌日であって、極楽寺へ一族の参詣することがあった。内大臣は子息たちを皆引き連れ....
「源氏物語」より 著者:紫式部
って出て行った。賭弓の競技が御所で二月にありそうでなかった上に、三月は帝の母后の
御忌月でだめであるのを残念がっている人たちは、六条院で弓の遊びが催されることを聞....
「源氏物語」より 著者:紫式部
からね、私なども思いながらあちらへまいることが延び延びになりがちなのです。宮様の
御忌日のことはあの阿闍梨に万事皆頼んできました。山荘のほうは私の希望を申せば仏様....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
開の期を過ぎ、八重桜の最中なり。小島町正覚寺に至り、有馬憲文氏を訪問す。親鸞上人
御忌執行中なるも、好意にて別杯を具せらる。夜に入りて帰船す。 七日、晴れ。午後....
「法然行伝」より 著者:中里介山
月輪殿)法然に対する信仰は殊に比類のないものであった。 二月十九日に法住寺殿の
御忌日に御仏事があって、僧俗座を分けて立ち並ぶうちに法然も招請されたが、この時の....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
励ましたのは、公卿でなく、吉野ノ執行、吉水院ノ法印|宗信で、 「まだ先帝の七々ノ
御忌もすまぬのに、もう南山の解体を議せられるなどは、余りにもふがいないではありま....
「大岡越前」より 著者:吉川英治
ろ。 秋田淡路守の下屋敷の軽輩が、吹矢で燕を射たことが発覚し、しかも、将軍家の
御忌辰に、法令を犯したとあって、夫婦ふたりとも、斬罪に処せられた。 あとで沙汰....