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御成道
「御成道〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
御成道の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「ヰタ・セクスアリス」より 著者:森鴎外
三台の車が続いて、飛ぶように駈ける。掛声をして、提灯《ちょうちん》を振り廻して、
御成道《おなりみち》を上野へ向けて行く。両側の店は大抵戸を締めている。食物店の行....
「吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
るもののいかなる人なるかを振り向いて見るも面倒になって、懐手《ふところで》のまま
御成道《おなりみち》へ出た。寒月は何となくそわそわしているごとく見えた。
人....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
くお笑いぐさですよ」と、仙吉も声をあげて笑った。「なんでも二、三日まえ、あいつが
御成道《おなりみち》の横町を通ると、どこかの古道具屋らしい奴と紙屑屋とが往来で立....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
がいます」 「かしこまりました」と、亭主は答えた。 そのあくる日である。下谷|
御成道《おなりみち》の道具屋の隠居十右衛門から町内の自身番へとどけ出た。昨夜、中....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
あ、三河町の親分、不思議な所で……」と、男は見かえって声をかけた。 彼は下谷の
御成道《おなりみち》に店を持っている遠州屋才兵衛という道具屋である。もっぱら茶道....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
た。朝まいりの人も少なかった。半七はゆっくり拝んで帰った。 その帰り途に下谷の
御成道へさしかかると、刀屋の横町に七、八人の男が仔細らしく立っていた。半七も商売....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
るのは光明弁天というのであった。かれ自身の云うところによれば、ある夜更けに下谷の
御成道を通ると、路ばたの町屋の雨戸の隙間からただならぬ光りが洩れているので、不思....
「百姓弥之助の話」より 著者:中里介山
屋があったり、黒焼屋があったり、錦絵和本類屋があったりするところにまだ明治時代の
御成道気分が残っている、万世橋へ来て見ると昔の柳原通り、明治以来の名残《なご》り....
「離魂病」より 著者:岡本綺堂
方である。西岡は下谷御徒町の親戚をたずねて、その帰り途に何かの買物をするつもりで
御成道を通りかかると、自分の五、六間さきを歩いている若い娘の姿がふと眼についた。....
「塩原多助一代記」より 著者:三遊亭円朝
/\と降ってまいりますから、駿河台を下りて昌平橋へ掛りました。此の昌平橋は只今は
御成道の通りに架って居りますが、其の頃は万世橋の西に在りましたので、多助は山出し....
「兜」より 著者:岡本綺堂
奥にもきこえて、隠居の勘十郎も、主人の勘次郎も出て来た。 金兵衛はその日、下谷
御成道の同商売の店から他の古道具類と一緒にかの兜を買取って来たのである。その店は....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
が、とにかく、約束通り、私は、その宿所へ訪ねて見ると、それはなかなか立派な構え、
御成道の大時計を右に曲って神田明神下の方へ曲る角の、昌平橋へ出ようという左側に、....
「食指談」より 著者:佐藤垢石
嘉兵衛などである。両国米沢町の権次というのは山鯨十五人前。油揚げ百五十枚が、下谷
御成道建具屋金八。一把七、八十房ずつついた唐辛子三把を食った神田小柳町の車力徳之....