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「御来光〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

御来光の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
単独行」より 著者:加藤文太郎
から権現岳を経て八ヶ岳連峰を縦走し本沢温泉へ下山、沓掛より浅間山に夜行登山をなし御来光を拝し小諸へ下山等の登山をした。 これらの登山中私はいつでもリーダーなく....
貧しき人々の群」より 著者:宮本百合子
無意味な者だろう。 私は、彼等とはまるで異った心持で、彼等のいわゆる「福の神の御来光」を待っていた。 ところへ、突然思いがけない事件が持ち上って、村中の者の....
不尽の高根」より 著者:小島烏水
の親切は、心のうちで受けた。水蒸気があまりに濃やかであったため、待ち設けなかった御来光が、東の空にさした。しかし旭日章旗のような光線の放射でなく、大きな火の玉と....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
うござんすよ、血気にまかせてはなりません。ひとつ乗鞍ヶ岳へ案内をして、朝日権現の御来光の有難いところを拝ませて進ぜましょうか。とにかく、ゆっくり御逗留《ごとうり....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
礼をして宝祚万歳《ほうそばんざい》を祈ること二十一回、富士のお山に登って、頂上に御来光を拝して、天下泰平を祈願すること八度――五畿東海東山、武総常野の間、やすみ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
は、いったい、山登りをしてどうなさるの、いい景色をごらんになるわけではなし、朝の御来光を拝みなさるわけではなし……それこそ、骨折り損じゃありませんか。それよりは....
利尻山とその植物」より 著者:牧野富太郎
りも愉快であったのは、午後四時頃であったと思う、この利尻山の絶頂に於て、いわゆる御来光《ごらいごう》を見ることが出来た、即ち自分の姿が判然と自分の前を顕われるの....