御目見[語句情報] » 御目見

「御目見〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

御目見の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
仙人」より 著者:芥川竜之介
助は番頭と一しょにやって来ました。今日はさすがに権助《ごんすけ》も、初《はつ》の御目見えだと思ったせいか、紋附《もんつき》の羽織を着ていますが、見た所はただの百....
白髪小僧」より 著者:杉山萠円
ながら、自分で破って、あられもない国々の賤《いや》しい女共と一所に、一週間の後に御目見得に出せとは、まあ何という浅ましい仰せであろうと、余りの悲しさ情なさに紅矢....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
辛くも取り鎮めているのである。子供たちは身分に応じて羽二重の黒紋付の小袖を着て、御目見《おめみえ》以上の家の子は継※※《つぎがみしも》、御目見以下の者は普通の麻....
護持院原の敵討」より 著者:森鴎外
相続|被仰附、宛行十四人|扶持被下置、追て相応の者|婿養子可被仰附、又近日|中奥御目見可被仰附」と云うのである。 十一日にりよは中奥目見に出て、「御紋附|黒縮....
修禅寺物語」より 著者:岡本綺堂
いがわたくしの果報よ。忘れもせぬこの三月、窟詣での下向路、桂谷の川上で、はじめて御目見得をいたしました。 頼家 おお、その時そちの名を問えば、川の名とおなじ桂と....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ゃな」 「そこだよ」 「よく、これで納まったな」 「納まらないのだ、これで近藤は御目見得格《おめみえかく》以上の役人となり、大久保なにがしという名をも下され、土....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
『白縫譚』『児雷也豪傑譚』なども追々と読んで行った。 私は九歳の時君侯へ初めて御目見《おめみ》えをした。御目見えをしないと、いかに男子があっても、主人の歿した....
南国太平記」より 著者:直木三十五
裁許掛見習として、斉彬の近くへ出るのと、斉彬の若者好きとからで、小太郎は無役の、御目見得以下ではあったが、時々、斉彬に、拝謁することができた。 斉彬は、時々、....
人形芝居に関するノオト」より 著者:竹内勝太郎
が復興され、再生されてピッコリ座となり、一九二八年の冬のシーズンに華々しく巴里に御目見得《デヴイユ》した。 之れはよく統制された組織と熟達した技術とを持って居....
水晶の栓」より 著者:新青年編輯局
と、女中のクレマンが彼を引き止めて、大変いい料理女を見付けたと告げた。 数分後御目見えに出て来た料理女は信用の出来る立派な身元証明書を持ていた。相当な年齢のな....
印度の詩人」より 著者:国枝史郎
てタゴールを日本中へ紹介したのは大阪朝日新聞社で、天王寺の公会堂で、タゴールの初御目見得と第一声とを発表した。その時わたしは同社の若い記者として、時の社会部長の....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
、三代目関三十郎死す、六十六歳。 ○一月、中村翫雀大阪より上京し、守田座における御目見得狂言の三浦之助、好評。 ○七月、守田座にて「亀山の仇討」を開演中、石井兵....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
共 本丸迄 早々|被成御座(候)趣 驚目申候 拙者も石にあたり すねたちかね申故御目見得にも被仕不仕猶重て 可得尊意候 恐惶謹言 辰刻玄信 宮本武蔵 有左衛門....
山の人生」より 著者:柳田国男
わらず、小野太左衛門はその説に感歎して、これを主人の伊達政宗に言上し、後日に清悦御目見えの沙汰があった。清悦とはこの自称長寿者ののちの名で、現今行われている『清....
木綿以前の事」より 著者:柳田国男
ンゾでござらう」というのが奉公人の地位のきまることを意味している。すなわち今日の御目見え以上に、いよいよ主従の契約をする式が見参であった。こういう場合には酒が与....