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循環論法
「循環論法〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
循環論法の前後の文節・文章を表示しています。該当する5件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「河童」より 著者:芥川竜之介
ことであり、成し得ることは成すことである。畢竟《ひっきょう》我々の生活はこういう
循環論法を脱することはできない。――すなわち不合理に終始している。
....
「侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
幽霊などを見るからである。こう云う今人の論法は勿論《もちろん》所謂《いわゆる》
循環論法に過ぎない。
況《いわん》や更にこみ入った問題は全然信念の上に立脚して....
「椿の花の赤」より 著者:豊島与志雄
実の処理に任せておけないんです。」 「それは循環論だよ。」 「そうです。すべてが
循環論法で進んでゆきますから、そのどこかに終止符を、基点を据えなければなりません....
「浅沼稲次郎の三つの代表的演説」より 著者:浅沼稲次郎
資がふえる、こういっておるのでありますが、池田総理のいうように、資本主義の経済が
循環論法で動いていたら、不景気も、恐慌も、首切りも、賃下げもなくなることになりま....
「山の人生」より 著者:柳田国男
楽の山の神の舞に、杓子を手に持って出て舞うからというなどは、もっともらしいがやや
循環論法の嫌いがある。何の故に山の神たる者がかくのごとく、人間の家刀自の必ず持つ....